バイブル・エッセイ(200)遠くのものは大きく見える


遠くのものは大きく見える
 四十日の後、彼らは土地の偵察から帰って来た。パランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロンおよびイスラエルの人々の共同体全体のもとに来ると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。彼らはモーセに説明して言った。「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です。しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。」
 カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」しかし、彼と一緒に行った者たちは反対し、「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言い、イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」(民数記13:25-33)
 主が与えて下さると約束したカナンの地を偵察してきた人々が、モーセにその結果を報告する場面です。カレブ以外の者たちは、カナンの地にすでにたくさんの先住民がいることに恐れをなし、その土地には巨人が住んでいるとさえ報告します。そして、「我々は、自分がいなごのように小さく見えた」とさえ言うのです。
 冷静に考えれば、どんな巨人でもそんなに大きいはずがありません。おそらく彼らは遠くから先住民たちの姿を見ただけで判断したのでしょう。遠くにあるものは、実際より大きく見えることがあるのです。心に恐れを抱いているときはなおさらです。しかし、彼らはやがて先住民との戦いに勝利します。生きている神が、彼らの傍にいて、共に戦ったからです。
 このようなことが、日常生活の中でもあるように思います。遠い先のことまで見渡すと、そこにあるものが実際よりもはるかに大きなものに見えて戦う前から逃げ出したくなる、そんなことがあるのです。例えば修道生活にしても、様々なトラブルや困難に直面して不安に陥っている時などは「一体いつまでこんなことが続くのだろう。先にはもっと困難なことが待っているに違いない。これから何十年も修道生活を続けるのは無理だ」というように考えてしまいがちです。きっと、結婚生活やその他の召命の道でも同じようなことがあるのではないでしょうか。
 しかし神を信頼してそこで踏みとどまり、実際に困難に直面するとき、わたしたちはその困難に打ち勝つことができます。なぜなら、神がわたしたちの傍にいて、わたしたちと共に戦ってくださるからです。神に信頼し、神と共に戦う限り、わたしたちはどんな困難にも打ち勝つことができるのです。その時わたしたちは、仮に自分がいなごのように小さなものであったとしても、巨人を打ち倒す力を与えられていることを知るでしょう。先のことを心配しすぎることなく、生きておられる神を信頼して、まっすぐに「約束の地」へと進んでいきましょう。
※写真の解説…三重県赤目四十八滝にて。