やぎぃの日記(128)神戸地区クリスマス・コンサート


神戸地区クリスマス・コンサート
 12月3日、カトリック神戸中央教会で、神戸地区社会活動委員会の主催による野宿者支援のためのクリスマス・チャリティーコンサートが行われた。毎年、さまざまな趣向をこらして行われるが、今年は最後に大きなサプライズがあった。いつも教会に集まっている野宿者や元野宿者で生活保護を受けているおじさんたちが、合唱隊を作って歌ったのだ。
 神戸中央教会にはいつも野宿者のおじさんたちの姿が見られる。カトリック大阪教区社会活動センターが、教会の敷地内に「交流部屋」と呼ばれるおじさんたちのための憩いの場があるからだ。交流部屋には洗濯室やシャワー室も備えられており、週に一度はボランティアの医師による無料診察も行われている。生活保護の申請などについての相談も毎日、専門のソーシャル・ワーカーが無料で行っている。ほとんど至れりつくせりと言っていい。そのため、この教会の庭には、いつ行ってもタバコを吸ったり、日向ぼっこをしたりしているおじさんたちの姿が見られる。こんな教会は、全国的にもめずらしいだろう。
 この活動が始まるきっかけになったのは、阪神淡路大震災だった。神戸中央教会(当時は中山手教会と呼ばれていた)は震災によって半壊の被害を受けたが、震災直後から敷地内で炊き出しの活動を始めた。当初は被災者の方々ともともとの野宿者が入り混じってその行列に並んでいたが、やがて被災者の数は少なくなっていき、最後に野宿者たちだけが残った。その後、教会が建て替えられたとき、教会に野宿者の方たちが集まれる憩いの場を作ろうという案が出て「交流部屋」が設けられたのだ。当初は近隣住民の強い反対もあったが、おじさんたちが毎日、近隣の道路を掃除している姿を見るうちに反対の声はしだいに消えていったという。
 その「交流部屋」に集まるいつもの面々が、コンサートの時は支援物資の真新しいYシャツと背広のチョッキ、お手製の付けヒゲといういでたちで舞台に立った。おじさんたちが数曲、クリスマスソングを披露した後、最後は会場の全員で「ビリーブ」という歌を大合唱した。「たとえば君が傷ついて、くじけそうになった時は、必ずぼくがそぱにいて、支えてあげるよその肩を」という出だしで始まる、かつてNHKの番組の主題歌だった曲だ。一つの大きな歌声の中で、支援する側と支援される側の人々の心が一つに結ばれたとき、会場は大きな愛の温もりで包まれていった。この喜びと感動は、きっと寒い冬を乗り越えるおじさんたちの心を温めてくれるだろうし、支援活動へと人々を駆り立てる力になっていくだろう。わたしも、年末年始の越冬活動に参加したいと思う。
※写真の解説…カトリック神戸中央教会の聖堂で歌う、おじさんたちの合唱団。後ろの方に立っているのは、応援の教会合唱隊の皆さん。
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クリスマス・チャリティーコンサートに寄せて〜道端におられるイエス
 今回のコンサートに寄せて書いた文章です。
 神学生の頃、毎週、東京駅や日比谷公園での夜回りに参加していました。駅や公園で野宿している人たちを訪ね、おにぎりやお茶、冬季には毛布やホカロンなどを配って歩くというものでした。
 最初の何か月かは、貧しい人たちへ直接に奉仕する願ってもない機会ということで毎週はりきって参加していたのですが、しだいに慣れてくると最初のような元気はなくなってきました。毎週、夜の3時間ないし4時間を夜回りのために割くというのはなかなか大変なことなのです。特に雨の降る冬の日の夜や試験前で忙しいときなどは、夜回りに向かう足取りも重くなりました。
 そんなある日のこと、わたしはいくつかのレポートの締め切りを目前にしながら、半ば義務のようにして夜回りに参加しました。おにぎりを配りながらも、頭の中で考えているのは、目の前の野宿者の方々のことより「あとこの場所とあの場所を周れば終わりだ。〇時ころには帰れるだろう」というようなことばかりでした。顔もきっと暗い表情だったに違いありません。
 そのようにして地下鉄の駅構内を周っていたときのことです。大きな柱の陰に段ボールを敷いて寝泊まりしていたおじさんに腰をかがめておにぎりを渡そうとすると、わたしの顔を見上げたおじさんがにっこり笑って「お疲れさま」と言ったのです。何の偽りもない穏やかなそのほほ笑みと、労りに満ちたその言葉を聞いたとき、わたしの心に大きな変化が起こりました。これまで心を満たしていたいらだちや焦りが一瞬のうちに消えて、心の底から大きな喜びが湧き上がってきたのです。「この人の中にイエス・キリストがおられる。」そのときわたしはそう確信しました。
 「貧しい人たちの中にイエス様を見つけなさい」とマザー・テレサが言っていますが、どんな人の心にも温かな思いやりや労りの心はあり、その中にイエス様がおられるのは確かです。このコンサートが皆さんにとって、道端におられるイエス様に出会うための入り口になればと思います。