バイブル・エッセイ(235)網を広げて


網を広げて
 エスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。(マタイ4:18-22)
 わたしは子どもの頃、魚釣りが大好きで、お休みの日には必ず近くの川や沼に行ってコイやフナを釣っていました。ある日、投網をしている漁師さんを見かけたので、傍で興味津々に眺めていました。漁師さんの手から網が丸く大きく広がって、それにたくさんの魚がかかるのが面白かったのです。その時、漁師さんが思いがけないことを言いました。「お前も投げてみるか」と言うのです。わたしは大喜びで網を手に取り、漁師さんの真似をして力いっぱいに投げてみました。しかし、残念ながら網は漁師さんが投げるときのようには広がらず、目の前にどさりと落ちただけでした。網を大きく広げるには、どうやらコツがいるようです。
 わたしたちが人間をとる漁師だとすれば、その網はわたしたちの心でしょう。心を大きく広げ、たくさんの魚をとるためのコツを、最高の漁師であるイエス様に学びたいと思います。まず何より、イエス様の心は、罪びととみなされていた徴税人や売春婦、世間から見捨てられた重い病気の患者などすべての人に開かれた心でした。わたしたちもイエス様に倣い「この人はだめだ」、「あの人は見込みがない」というような思い込みや偏見を捨てる必要があるでしょう。
 またイエス様の心は、ユダヤ人だけでなく、異邦人に向かって、全世界に向かって開かれた心でした。わたしたちも心を開き、自分たちのことばかり考えるのをやめて、広く世界で何が起こっているかに関心を持つ必要があるでしょう。自分自身のこと、自分の家族や所属教会のことばかりを考えていては、心は決して広がらないのです。
 イエス様はあらゆる思い込みや偏見から解放され、世界で起こっている出来事にいつも関心を持った人、すべてを包み込む大きな愛の人でした。その姿に倣いたいと思います。エス様を真似ながら、愛の網を投げては失敗し、失敗してはまた投げるということを繰り返すうちに、わたしたちもいつかきっとイエス様のような漁師になれるでしょう。
※写真の解説…琵琶湖に注ぎ込む水路に留められた舟。漁師、田中三五郎さんの船着き場にて。