バイブル・エッセイ(255)誘惑の正体


誘惑の正体
“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1:12-15)
 ノアの洪水は、父と子と聖霊の御名において受ける洗礼の水を前もって表したものだと言われています。ノアの洪水によって地から罪や汚れが拭い去られ、神と人との間に永遠の平和が約束されたように、洗礼の水によって私たちの心があらゆる罪と汚れから洗い清められ、神の子として新しい命に生まれ変わるからでしょう。
 この水は、善いものも悪いものもすべて破壊し、押し流してしまう津波の水ではなく、どこからともなくやって来て、汚れた地面をを静かに覆い尽くす洪水の水です。どこからともなく湧き上がって、わたしたちの心を満たしてゆくこの水を、聖霊の水と考えてもいいかもしれません。聖霊の水は、罪や汚れを一つ一つ飲み込み、取り去りながらわたしたちの心を隅々まで満たしてゆきます。
 罪や汚れが聖霊の水に飲まれようとする時、罪や汚れの主人であるサタンが、必死でそれを食い止めようとします。その断末魔の抵抗が、実は、今日の福音に記されている誘惑の正体なのかもしれません。エスに罪はありませんが、おそらく人間としての弱さや迷いはあったでしょう。聖霊の水がそれらを覆いつくし、消し去ろうとするのを見て、サタンがなんとかそれを食い止めようとした。それが荒れ野の誘惑だったと考えてはどうでしょう。
 荒れ野の誘惑とは比べ物にもなりませんが、わたし自身の体験でこんなことがありました。イエズス会に入会する直前、最後の識別をしようと思って広島の黙想の家に行き、8日間の黙想をしていたときのことです。2日目か3日目の晩のことでしたが、夜中にとんでもなく恐ろしい夢を見ました。何者かが大きな声で「すぐに家に帰れ。こんなところにいれば、お前の人生はおしまいだぞ。これまで手に入れたもの全てを失うんだぞ」とわたしを脅したのです。寝ていたはずのベッドは消え、体は闇の深淵に飲み込まれてゆきます。そこでわたしは「ぎゃっ」と叫んで目を覚ましました。
 その悪夢をなんとか乗り越え、イエズス会入会を希望する手紙を書いてその黙想会は終わったのですが、あの恐ろしい夢はもしかするとサタンの誘惑だったのかなとも思います。わたしの心を聖霊が満たし、弱さや迷いが取り去られようとするのを見て、サタンが何とかそれを食い止めようと誘惑したのかもしれません。
 40日の誘惑を乗り越えたとき、イエスの心は聖霊に満たされ、その口からは「神の国は近づいた」という言葉があふれ出しました。誘惑の苦しみは、実は、聖霊がわたしたちの心を清めながら満たしていくときに起こるものなのです。その苦しみを乗り越えたとき、わたしたちも聖霊に満たされて神の国を証しする神の子として生まれ変われるに違いありません。そのことを信じて、この四旬節のあいだ、あらゆる誘惑と戦ってゆきましょう。
※写真の解説…夜が明ける直前の湖。山中湖にて。