コロナ禍の荒れ野にあって
“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1:12-15)
四旬節の始まりにあたって、「イエスは四十日間、荒野にとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」というマルコ福音書の箇所が読まれました。この箇所に、サタンだけでなく、天使も登場することに注目したいと思います。イエスが荒野で過ごした四十日間、そしてこの期間を思い起こしてわたしたちが過ごす四旬節は、厳しい生活の中で試練を受ける日々であると同時に、天使に守られ、神とより一層深く結ばれてゆく日々でもあるのです。
コロナ禍の中で外出や人との接触を控えて過ごす日々が始まって、もう1年近くになろうとしています。この間わたしたちは、ある意味で長い四旬節を過ごしていると言ってもいいかもしれません。心理的な圧迫、経済的な圧迫は限界に達しつつあり、あちこちから「もういい加減にしてくれ」という嘆きの声が聞こえてきます。世界は、絶望への誘惑や、自分たちだけ助かろうとする利己主義の誘惑、差別や分断への誘惑など、さまざまな誘惑にさらされていると言っていいでしょう。わたし自身もときどき、無力さに打ちのめされ、未来への希望を見失いそうになる誘惑に襲われることがあります。
ですが、自分を守ってくれている天使の存在、神の愛の存在に気づくこともたびたびあります。昨日、ときわ公園ちょっと散歩しただけでも、何回かそんなことがありました。たとえば、道端に咲くタンポポ。日当たりのよい広場の片隅では、もうタンポポが数輪咲き始めているのです。暖かな陽射しの中で咲くタンポポを見てわたしは、「よし、わたしももう少しがんばってみよう」と思える力、生きるための力が湧き上がってくるのを感じました。天使がわたしを導き、タンポポと出会わせてくれたと言ってもいいかもしれません。菜の花畑もいまが満開で、湖畔の一部が、さわやかな黄色に包まれているのを見ることができます。毎年、その菜の花畑を見るたびに、神さまからのエールが聞こえるような気がするのですが、今年はその声がより一層大きく響いているようです。その励ましの声の中には、天使たちの声も混じっている気がします。わたしたちが試練にあるとは、神さまは必ず天使を送り、恵みを届けてくださるのです。
四旬節は、いやいや耐えるだけの苦しみの期間ではありません。普段よりも厳しい生活の中で、神さまの愛とより深く結ばれていくための期間でもあるのです。教皇フランシスコは今年の四旬節メッセージの中で「精神を集中し、静かに祈る中で、希望はひらめきとして、また心の光として与えられます」とおっしゃっています。深い祈りの中で神の愛に触れるとき、神さまが自分をどれだけ愛してくださっているかに気づくとき、わたしたちの心に希望の光が射すのです。緊急事態宣言と重なった今年の四旬節は、わたしたちの精神をより集中させ、より大きな希望の光と出会う恵みの時になるかもしれません。祈りの中で一日一日を丁寧に、感謝して生きてゆくことができるよう、苦しみの中でより一層深く神と結ばれてゆくことができるよう祈りましょう。
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