バイブル・エッセイ(269)愛の温もり


愛の温もり
★このエッセイは、先日行われた初聖体・祝福式ミサでの説教に基づいています。
 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:24-29)
 他の弟子たちだけがイエスと出会ったというのを聞いて、トマスは思わず「十字架につけられたときにあいいたイエスの手の穴、槍で刺されたときにできた脇腹の傷に手を入れてみなければ信じない」とひどいことを言ってしまいます。イエスが自分に会わずにどこかに行ってしまったと思ったのでしょう。ですが実は、姿が見えなくなっただけでイエスはまだその部屋にいて、その言葉を聞いていました。だからこそ、イエスは次に姿を現したとき「手の穴に指を入れ、脇腹に手をいれなさい」とトマスに語りかけたのです。どうして自分だけ神様と会えないんだ、ぼくは神様に愛されていないんじゃないか、そんな風に思えるときでも、神様はいつもわたしたちと一緒にいてくれるのです。
 「どうして神様は自分だけ愛してくれないんだろう」、そう思っていると、すぐそばにいるイエスの姿が見えなくなってしまう。そんなことが確かにあります。例えば、こんなことがありました。フィリピンで神父になるための準備をしていた頃、ある時、山の中の村に送られることになりました。ミンダナオ島という離れ島の、一番近い町からでも舗装されていないでこぼこの道をジープで4時間というところにある小さな村です。その村の神父さんは、そこからさらに山奥に入っていって、服も着ていないような原始的な生活を送っている人たちの村に神様の教えを伝えている人でした。わたしはしばらく、その人のもとで修行することになったのです。
 到着して1週間くらいしたとき、いよいよ山奥に出発することになりました。奥地に行くための道は、なんと川でした。最初は浅い渓流だったので「きっと最後まできれいな景色の中を歩いて行けるのだろう」と思ったのですが、それは大きな間違いでした。川は途中で何回も深くなり、わたしは何度も流されそうになりながら、かろうじて神父さんの手につかまって進んでいきました。山の中ですから、滝も当然ありました。滝にさしかかると、わたしたちは川から上がって滝の近くのがけを命綱なしでよじ登らなければなりませんでした。わたしは「どうしてぼくだけがこんな目に会うんだろう。他の町に送られた仲間たちは楽しい実習を過ごしているというのに」と心から思いました。まるで神様から見捨てられたような気分でした。
 命からがらなんとか奥地の村について、最初の晩がやってきました。フィリピンの暑い気候に合わせてTシャツ1枚で出てきたのですが、山奥の村はとても寒くて眠れませんでした。がたがた震えながら眠れずにいるとき、ふと自分のリュックの中に雨合羽が入っているのに気づきました。念のためと思って入れておいたのです。厚いビニールの雨合羽に包まれてようやく眠りにつくことができたとき、わたしは心の底から「ああやっぱり神様はわたしを見捨てていなかった。神様はわたしと一緒にいてくれる」と思いました。雨合羽の温もりが、神様の温もりのように感じられたのです。
 村からの帰るときも来たときと同じ道を通って帰りましたが、そのときは何も恐れず、元気いっぱいに帰ることができました。神様が一緒にいてくれるから、どんなに危険があったとしてもだいじょうぶだと確信していたからです。いっしょに歩いている神父さまの中に、イエスがいてくださるようにさえ思えました。神様が送ってくれた1枚の雨合羽が、わたしを神様と出会わせ、すべてを変えてしまったようでした。
 雨合羽でもそうなのですから、イエスと直接に出会ったトマスは「どんなときでもイエスが一緒にいてくれるんだ。神様がぼくを見捨てることはない」と固く信じたことでしょう。そして、何も恐れずに、力強く福音宣教へと旅立っていったことでしょう。初聖体を受ける皆さんは今からイエスの体を通して、祝福を受ける皆さんは司祭の手の温もりを通して神様の愛と出会うことになります。初聖体、祝福式が、皆さんの心を神様の温もりで包み込むとびきりの雨合羽になるようにと心から祈ります。 
※写真の解説…カトリック六甲教会の庭に咲いたハナニラ