やぎぃの日記(143)大阪教区司牧者研修会「虐待・性暴力が心に及ぼす影響」〜前半


大阪教区司牧者研修会「虐待・性暴力が心に及ぼす影響」〜前半

 6月26日から27日の2日間、大阪・梅田のサクラファミリア教会でカトリック大阪大司教区司牧者研修会が行われた。今年のテーマは、欧米で頻発する司祭による児童の性的虐待事件を受けて「虐待・性暴力が心に及ぼす影響」。日本ではまだ発生が報告されていないが、対岸の火事と見過ごすことは到底できない深刻な問題だ。1日目は、さまざまな虐待を受けた方々への支援活動を行っているNPO法人レジリエンス」代表の中島幸子さんが、ご自身の体験に基づいて虐待被害の実態について語って下さり、2日目には、「大阪教区セクハラ相談窓口」担当の方々が、これまで3年間に寄せられた相談についての報告して下さった。
(1)虐待を受けた方々とどう向かい合うか
 虐待を加えられているはずの人が加害者をかばう「トラウマティック・ボンディング」と呼ばれる現象、ひどい恐怖を味わったとき、脳の中の海馬と呼ばれる部分が機能しなくなり記憶が残らなくなることなど、講師の中島さんの説明はほとんど初めて聞くことばかりで、自分がどれだけ虐待について無知であったかをまず思い知らされた。虐待を受けた方の話を誤解なく受け止め、司祭に相談したことによってさらに傷口が広がる二次被害を防ぐためには、このような知識を身に着けることから始めるべきだろう。
 司祭による虐待という以前に、性的な純潔を尊ぶ教会の教えが、性暴力の被害者に罪悪感を感じさせることがあるという指摘もあった。「汚れなき乙女」を尊ぶのは教会の大切な伝統だが、その裏側に性的関係は「汚れ」であるという負のメッセージを感じてしまう人がいるのも確かだろう。説教台から、あるいはさまざまな場所で司祭・修道者として教会の教えを説く場合に、そのような人々の心を踏みにじらない配慮が必要だと思う。
 逆に、教会にこそ「あなたは大切な人」というメッセージを発してほしいという期待の言葉もあった。虐待を受けた方たちは多くの場合、自分は汚れてしまい、価値がなくなったという思いを抱えている。そのような人たちに、神から限りなく愛された「神の子」としての価値を伝えることは教会の使命に違いない。一司祭にできることには限界があるが、「あなたが大切だ」というメッセージをあらゆる形で発信していくことだろう。例えば虐待を受けた子どもが、自分の描いた絵について「こんないい絵を描く子は、きっと心が美しいのでしょう」という教師の一言で自信を取り戻したということもあるそうだ。
 中島さんは、虐待を受けたご自身の心を「まるで核燃料棒を入れられているよう」と表現しておられた。いつも心に水を入れていなければ、核燃料棒がメルトダウンして自分自身が破壊されてしまうという。「虐待によって生きる力の泉が破壊される」ということも言っておられたから、きっと水というのは「生きる力」というような意味なのだろう。教会には、そのような苦しみを抱えた方が「生きる力」の水をくみ上げるのを手伝うことができるのではないだろうか。
 最後に中島さんが「皆さんは1時間半の話でも重いと感じられたでしょうが、それを一生抱えて過ごさなければならない者もいるのです」とおっしゃった言葉が心に突き刺さった。確かにあまりに重く、向かい合うのを尻込みしたくなるような話だが、「神の愛」をすべての人に伝える使命を与えられたわたしたちが、この現実から目をそらすことがあってはならないと思う。
※写真の解説…岩場に咲いたエーデルワイス。六甲山高山植物園にて。