バイブル・エッセイ(302)人を汚すもの


人を汚すもの
 エスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(マルコ7:21-23)
 「外から人の体に入るもので、人を汚すことができるものは何もない」とイエスはおっしゃいます。これは食べ物だけに限らず、言葉についても言えることでしょう。たとえば、ひどい悪口がどんな場合にも相手を怒りや憎しみで満たすとは限りませんし、お世辞や称賛が必ず相手を思い上らせ、傲慢にするわけでもないからです。
 例えばわたしが知っているある神父さんは、いつも安物のくたびれた服を着ています。足に履いているのはビニールのサンダル。ときどき口の悪い信者さんが「神父さん、ホームレスみたいやな」と言ってからかうのですが、その神父さんは少しも怒りません。それどころか、むしろそう言われて喜んでいるようなのです。「イエスさんは貧しい生活をし、みんなからののしられ、住む家もないホームレスやった。イエスさんと同じものだといわれるのは、名誉なこっちゃで」とその神父さんは言います。
 たくさんの本を出したり、日本中で講演会をしたりしてとても有名なある神父さんは、人からどんなに誉められても「わたしは、何もできないつまらない者です」と言って謙遜されます。その神父さんが、自分と同じように活躍している他の神父さんの悪口を言ったり、自分より目立たない神父さんたちを見下したりするのを一度も見たことがありませんから、彼の謙遜さは本物だと思います。「こんなに小さな罪びとであるわたしを使ってこれだけのことをなさる神様は、本当に偉大です」とその神父さんは言います。
 この2人に共通しているのは、神の前で自分のありのままの弱い姿を受け入れる謙遜さと言っていいでしょう。もし、何とか外見を整えて自分を実際よりよく見せることに心を砕いている人に同じ悪口を言えば、その人は激怒するでしょうし、自分はたくさんの業績を上げた偉大な人間だと思っている人を同じように称賛すれば、その人はますます傲慢になるに違いありません。しかし、神の前で自分の弱さ、小ささを受け入れている人は、どんな悪口によっても称賛によっても心を乱すことがないのです。
 人から悪口を言われて腹が立つとき、称賛されて傲慢になりそうなとき、どうぞこの2人の神父さんのことを思い出してみてください。腹が立つのも、思い上るのも、その原因は、外から耳に入ってきた言葉自体ではなく、ありのままの自分を神様の前で受け入れられない自分にあるかもしれないからです。そして、ありのままの自分を受け入れる勇気、愛する力を神に願いましょう。
※写真の解説…8月31日に撮影した、1ヶ月のうちで2度目の満月「ブルー・ムーン」。カトリック六甲教会3階より。