バイブル・エッセイ(319)苦しみの中に来られるイエス


苦しみの中に来られるイエス
 そのとき,イエスは弟子たちに言われた。「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。(ルカ21:25-28)
 大地が揺らぎ、海は荒れ狂い、絶対に消えないと思っていた太陽や月、星々の光さえ消えてしまう。現実の世界にそんなことが起こることはないかもしれませんが、わたしたちの心の中にはこのような状態がときどき起こります。信頼しきっていた人間関係や社会的な地位、財産などが崩れ去って心が激しく乱れ、すべての希望の光を失ってしまう。そのようなことが、人生にはときどきあるのです。
 そんなとき、わたしたちはどうするでしょう。うずくまって顔を伏せ、苦しみが通り過ぎるのを待つでしょうか。部屋に閉じこもり、自分の世界の中に逃げ込むでしょうか。それではいけないとイエスは言います。そんなときこそ、「身を起こして頭を上げ」苦しみに直面しなさいとイエスは言うのです。
 まず、わたしたち自身の心の中にある苦しみに直面したいと思います。そして、何が自分を苦しめているのか、その正体を見極めるのです。もしかすると、その苦しみはわたしたちが、虚栄心やプライドにしがみついていることから生まれたものかもしれません。自分の思い描いた通りの未来がやってこないことが、自分を苦しめているかもしれません。そうだとすれば、そのしがみついてるものを手放せばいいのです。そうすれば、手放して空っぽになったわたしたちの心に「人の子が大いなる力と栄光を帯びて」来てくださることでしょう。エスはわたしたちに、もう一度立ち上がり、神の子として歩み始める勇気と力を与えてくださるはずです。「もうだめだ。見たくない」とあきらめて、娯楽番組やアルコールなどの気晴らしに逃げていては、いつまでたっても苦しみが去ることはありません。つらいことですが、目を開けて苦しみに直面したいと思います。
 次に、わたしたちを苦しめる人々の心にも直面したいと思います。その人がわたしたちを苦しめるのはなぜなのか、相手の心をしっかり見つめてみましょう。そうすれば、わたしたちは、その相手の心の中にもなんらかの苦しみがあることを見出すでしょう。その人は、自分が苦しいからこそ周りの人たちを苦しめてしまうのです。相手の苦しみに気づき、憐みやいたわりの心がほんのわずかでも心に生まれるなら、そのときわたしたちの心に「人の子が大いなる力と栄光を帯びて」来てくださることでしょう。エスは、わたしたちが何をすればいいか教えてくれるだけでなく、それを実行するための勇気と力も与えてくださるはずです。「この人はだめだ。見たくない」とあきらめて、無視したり避けたりしていては、いつまでたっても苦しみが去ることはありません。つらいことですが、目を開けて相手の苦しみに直面したいと思います。
 苦しみに直面するとき、その苦しみの中にイエスが来てくださいます。苦しみが大きくなればなるほど解放の時は近いと信じ、「身を起こし頭を上げ」て苦しみに直面することができるよう、神の助けを願いましょう。
※写真の解説…カトリック六甲教会の桜の木。