【名誉教皇ベネディクト16世の言葉】


名誉教皇ベネディクト16世の言葉
 使徒空位のこのときに当たって、名誉教皇ベネディクト16世教皇在位中に語られた言葉の中から印象深いものをいくつかご紹介したいと思います。四旬節の祈りのための糧としてお役立て頂ければと思います。
「神を探しなさい、そうすれば神が見つけてくださるでしょう。」
「文化の多様性という現実を考えれば、わたしたちは他の文化の存在を受け入れるというだけでなく、それらによって豊かにされたい、また自分たちが持っているよいもの、真実なもの、美しいものをそれらに差し出したいと願う必要があります。」
「教会は、組織によって作り出されるものではありません。教会は、聖霊から生まれるものでなければならないのです。」
教皇は、その思いや望みが法律となるような絶対君主ではありません。逆に、教皇使徒職は、キリストと御言葉に対する忠実の証です。」
「聖性はぜいたくではありません。わずかな人々の特権ではないし、普通の人には不可能なものでもありません。聖性は、神の子となるように呼ばれたすべての人の共通の運命であり、洗礼を受けた者の普遍的な召命です。」
「愛は正義を越えるものです。なぜなら、愛は自分のものを隣人に差し出すからです。ですが、正義も忘れてはなりません。正義は、相手のものを相手に返すようにとわたしたちを促します。」
「十字架の上で、神ご自身が被造物に愛を求めておられます。神は、わたしたちすべての愛に渇いておられるのです。」
「神を斥けるヒューマニズムは、非人間的なヒューマニズムです。」
「深い回心の望みなしに、新しい福音宣教を語ることはできません。新しい福音宣教の一番の方法は、わたしたち自身が神と和解し、互いと和解することです。」
「観想へと変わっていく沈黙、わたしたちを神の沈黙へと誘い、御言葉が生まれる場所へと導く沈黙が必要です。」
キリスト教徒であるということは、倫理的な選択や高邁な理想の結果ではなく、人生に新しい地平を開き、決定的な道を示す出来事や人との出会いの結果です。」
「人間の命は美しいものであり、しっかりと生きられるべきものです。もしそれが弱く、苦しみの神秘に包み込まれているとしても。」
「人間は、無限への渇き、永遠への憧れ、美の探求、愛の願い、絶対へと彼を向かわせずにいない光と真理への飢えを、内に秘めています。人間は、神を求める望みをうちに秘めているのです。」
「喜びを運ぶ宣教者となるよう、皆さんを励ましたいと思います。わたしたちは、隣人が喜んでいなければ、本当に幸せであることができないからです。」
「祈る人が希望を失うということはありえません。」
「決して裏切ることがない信頼できる希望は、『過ぎ越しの希望』だけです。」
「沈黙はわたしたちの心の深みに、神が住まうことができる場所をつくりだします。」
典礼は、神がわたしたち一人ひとりに、ここでいま語りかけ、わたしたちの答えを待たれる特別な場所です。」
「単なる人々の集まりを教会共同体に変えるのはミサです。ミサが教会を造るのです。」
「キリストのまことの現存は、わたしたち一人ひとりをキリストの『家』にします。そして、わたしたち皆が一緒になって『教会』を造り上げるのです。」
「教会それ自体はなにものでもありません。教会は、キリストの権威への従順とキリストの命じられるままにする奉仕によって、キリストのしるし、キリストの道具となるように召し出されたものです。」