【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
5月10日(金)朝のミサでの説教
「いつでも持っていられるよう、喜びを瓶詰めにすることができるでしょうか。できません。もし喜びを自分の中に取って置くなら、最後には気分が悪くなり、私たちの心は老いて皺くちゃになります。私たちの顔はもはや大きな喜びを伝えず、病的なノスタルジーや憂うつだけを伝えます。そのような顔は、すばらしい人生の喜びよりは、酢漬けにされたピーマンに似ています。」
「望みが大きければ大きいほど、喜びも大きいでしょう。キリスト教徒とは、望む人です。人生の旅路において、いつでも望み続けるのです。主にこの恵み、聖霊の賜物であるキリスト教的な喜びを願います。それは悲しみからも、単なる楽しみからも遠く、異なるものです。それは求めるべき恵みなのです。」
5月11日(土)朝のミサでの説教
「イエスの名による父への祈りは、私たちを自分の外に運んでゆきます。まるで来ては去る考え事のように自分自身の中にとどまり続ける祈りは、私たちを退屈させます。本当の祈りは、私たち自身からの脱出なのです。」
5月12日(日)列聖式ミサでの説教
「殉教者たちは、神に忠実であるための強さをどこに見つけたのでしょう。人間の目の限界を越え、地上の生活の境界線の向こう側を見させてくれる信仰、『開かれた天』と父の右の座に着いて生きておられるキリストを観想させてくれる信仰の中に見つけたのです。」
5月14日(火)朝のミサでの説教
「本当にイエスに従いたいのなら、私たちは自分の人生を、自分のためにとっておく宝物ではなく、人々への贈り物として生きなければなりません。愛ゆえに自分の人生を与える人は、決して一人ぼっちではありません。彼らはいつでも共同体の中におり、家族の一員なのです。」
5月15日(水)一般謁見でのメッセージ
「イエスは、時が満ちて『肉となった』真理であり、私たちに真理を知らせるためにやって来られました。真理を、物のように掴むことはできません。真理は出会うものです。それは所有ではなく、イエスとの出会いなのです。」
聖霊は『真理をことごとく』知らせ、真理の充満であるイエスとの出会いに導きますが、それだけではありません。聖霊はわたしたちを真理の『中へ』と導くのです。聖霊は、私たちに神的な事柄についての知識を与え、私たちがイエスご自身との深い交わりの中に入っていくことを助けるのです。」
「ある時、ある場面で、状況に応じて選ぶ『パート・タイム』のキリスト教徒ではいけません。どんなときでも、キリスト教徒でありなさい。聖霊が教え、与えて下さるキリストの真理は、どんなときでも、いつまでも私たちの日々の生活と不可分です。キリストの弟子としての道を導いて下さるよう、もっと頻繁に聖霊の助けを願いましょう。」
教皇様のツイート■
5月9日(木)
聖霊は、私たちの心に一番大切な贈り物を運んで下さいます。それは、神の愛と慈しみへの深い信頼です。」
5月11日(土)
聖霊は、人々を新鮮な目で見るのを助けて下さいます。彼らをいつも、イエスにおける兄弟姉妹、尊敬され、愛されるべき人々として見させて下さるのです。」
5月12日(日)
「いまだ迫害と暴力に苦しんでいる、世界中の多くのキリスト教徒のために祈りましょう。神がその人たちに、忠実に生きるための勇気を与えて下さいますように。」
5月13日(月)
「私は、日々の生活の中でキリストに忠実だろうか。私は、敬意だけではなく、勇気によって信仰を人々に示すことができるだろうか。」(殉教者たちが投げかける問い)
5月15日(水)
「生命を与えて下さるのは神です。人間の生命、特に母親の胎内にある傷つきやすい生命を尊重し、愛しましょう。」