【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
5月30日(木)キリストの聖体の祭日ミサ
「聖餐は交わりの秘跡です。私たちは自分に尋ねなければなりません。『私はどのように聖餐を生きているだろうか。匿名的に与っているだろうか、それとも主と真実の交わりを結ぶ瞬間にしているだろうか。同じ食卓を囲む兄弟姉妹と、どのように交わっているだろうか。』」
5月31日(金)朝のミサ
「ミサの中で、あなたがたは神を讃美していますか、それとも願い事をしたり感謝したりしているだけですか。神を讃美するというのは、私たちの霊的生活において何か新しいことです。自分自身の中から出て、神を讃美するのです。神への讃美こそ、永遠ということです。それは決して退屈なことではありません。」
6月1日(土)朝のミサ
「私たちが社会活動をするのを見れば、彼らは『教会は何とすばらしいのでしょう。なんとよい社会活動をすることでしょう』と言うでしょう。ですが、もし私たちがそれらの活動をするのは、助けている人々がキリスト御自身だからと言えばスキャンダルになります。」
6月2日(日)朝のミサ
「今日、私たちは死者のため、傷ついた人たちのため、戦争の狂気の犠牲者のために祈ろうとここに集まりました。戦争は、人間性の自殺です。なぜなら、心を殺し、主のメッセージそのものである愛を殺すからです。戦争は憎しみや妬み、力への欲望から生まれます。より大きな力への飢えから生まれるのです。」
6月3日(月)朝のミサ
「罪びとについて多くを語る必要はないでしょう。なぜなら、私たちはみな罪びとだからです。私たちは、心の中でそれに気づいています。そして、罪が何であるかも知っているのです。もしそう感じない人がいれば、その人は魂についての医者を訪ねた方がいいでしょう。何かが間違っているからです。」
6月4日(火)朝のミサ
「偽善は、真理の言葉ではありません。なぜなら、真理はそれだけで与えられることがないからです。真理は、必ず愛と共に与えられます。愛のない真理など存在しないのです。愛こそが、第一の真理なのです。」
6月5日(水)朝のミサ
「神の前で嘆くことは罪ではありません。私の知っているある司祭は、神の前で自分の不運を嘆く女性に『それも祈りの形の1つです。もっと嘆いたらいいでしょう』と言いました。」
6月5日(水)一般謁見
「消費主義は、過剰や日々の生活の中での食べ物の浪費を、私たちにとって当たり前のことにしてしまいました。私たちはその食べ物に正当な価値を与えないのです。ですが、忘れてはなりません。私たちが捨てている食べ物は、貧しく、飢えた人々のテーブルから盗み取られたもののようだということを。」
教皇様のツイート■
5月31日(金)
「救いの歴史全体が、私たちを探し求める神の物語です。神は私たちに愛を与え、優しく迎え入れて下さるのです。」
6月1日(土)
「この信仰年に当たって私たちは、教会がいつも、全ての人に神の愛を運ぶ真の家族であるようにと祈ります。」
6月2日(日)
「この世は私たちに、成功や力、お金を求めるようにと語りかけますが、神は私たちに、謙遜や奉仕、愛を求めるようにと語りかけます。」
6月3日(月)
「何をすべきかが分かっていても、それをする勇気がないことが時々あります。どうしたら主を信頼して決断できるのかを、マリアに学びましょう。」
6月4日(火)
「キリストは、もっともっと自分自身から抜け出すよう、私たちを導いておられます。自分を与え、人々に奉仕するよう導いておられるのです。」
6月5日(水)
「被造物の世話は、神が歴史の始めに語っただけのことではありません。神はその使命を、神の御計画の一部として私たち一人ひとりに託したのです。」