祈りの小箱(81)『自慢話と人の悪口』


『自慢話と人の悪口』
 あるとき、自分自身の心の動きを振り返っていておもしろいことに気づきました。自慢話と人の悪口、一見まったく逆に見える2つのことが、実は同じ一つの根から出ているということです。その根とはすなわち、自信のなさ。自分に自信がないとき、わたしたちはさかんに自慢話をし、それが尽きると人の悪口を言い始めるもののようなのです。
 自慢話をしたくなるのはなぜでしょう。それは、自分の価値を人に認めさせたいからです。では、なぜ自分の価値を人に認めさせなければならないのでしょうか。それは、自分の価値に自信がないからに他なりません。もし自分の価値に自信があるならば、あらためて人に認めさせる必要などないでしょう。自分に自信がない人は、自慢話をして人に自分の価値を認めさせ、そのことによって自分の価値を確認せずにいられないのです。
 人の悪口を言いたくなるのはなぜでしょう。いろいろな理由がありえますが、最大の理由は、自分の正しさを証明することでしょう。ほとんどの場合、悪口の最終的な主張は「あの人は絶対に間違っている、私は絶対に正しい」ということなのです。ですが、なぜ自分の正しさを人に認めさせなければならないのでしょう。それは、やはり自分の正しさに自信がないからだと思います。「自分にも落ち度はあるけれども、やはり腹が立つし、あんな言い方はゆるせない」、そんな風に感じているとき、わたしたちは自分のことをすっかり棚に上げて人の悪口を言い始めるのです。自分の正しさに自信があり、それが誰の目にも明らかであるならば、あえて人の悪口など言う必要はないでしょう。
 自慢話も人の悪口も、人間の心理としてもっともなことであり、それを言う人を責めることはできません。ですが、もし自分の価値や正しさを認めさせるためならば、それらはまったく逆の効果しか生まないことも覚えておく必要があるでしょう。自慢話ばかりする人を尊敬する人はいませんし、人の悪口ばかり言うような人が正しいと思う人もいないからです。自慢話がしたくなったり、人の悪口が言いたくなったりしたときは、「ああ、自分はいま不安なんだ。自分に自信がないんだ」と思って、心の動きを整えるのがいいでしょう。その自慢話は、その悪口は、本当に言う必要があるのでしょうか。
 神様はすべてをご存知です。不完全で間違いだらけのわたしたちをありのままに受け入れてくださる神様の愛に信頼し、神様に愛されている自分に自信を持ちましょう。神様の愛を感じられさえすれば、自慢話をせずにいられない気持ち、人の悪口をいわずにはいられない気持ちはどこかに消えてしまうのです。
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