祈りの小箱(85)『変わりたいと思ったときにだけ』


『変わりたいと思ったときにだけ』
 本やテレビを通して立派な教えや崇高な理想に触れ、感動して「自分も変わらなければ」と思うことがあります。それはすばらしいことですが、わたし自身の経験上、そのような決意はうまくいかないことが多いようです。
 例えば、自分の家柄(容姿、学歴、能力などなんでも同じですが)にコンプレックスを抱いている人が、「家柄なんて関係がない。人間の価値は、その人の生き方によって決まる」と本に書いてあるのを読んで感動し、「考え方を変えなければ。もうこれからは家柄なんて気にしないぞ」と思ったとします。ところが、どんなに固く決心したとしても、いざ実際に自分より家柄が上と思われる人の前にでると心のどこかに劣等感を感じてしまうし、逆に自分より家柄がよくないと思われる人の前に出ると心のどこかに優越感を感じてしまう。「家柄なんか気にしないぞ」と思えば思うほど、相手への態度がぎこちなくなってしまう。そんなことになってしまいがちなのです。
 なぜでしょう。それは、その人の心の中に、これまで家柄がよくないことによって馬鹿にされたり、差別されたりしてきたことの傷が残っているからです。本で読み、頭で理解したとしても、その傷は触れられるたびごとに痛み始めます。だから、頭では分かっていても、心と体が勝手に反応してしまうのです。もしその人が変われるとすれば、それは心の傷が癒されたときだけです。
 では、心の傷はどうしたら癒されるのでしょう。心の傷は、誰かから、あるいは何ものかから、大きな愛でありのままの自分を受け入れられることによってだけ癒されるものだと思います。さまざまなコンプレックスを抱えた自分がありのままに受け入れられ、愛されたとき、わたしたちは心の底から「これまでの考えは間違っていた。変わりたい」と思えるのです。わたしたちが変わるのはそのときです。
 このことは、わたしたち自身についても当てはまりますし、家族や友達にも当てはまることです。もし変わりたいと思うなら、変わってほしいと思うなら、頭で納得したり、納得させたりするだけではだめで、愛が必要なのです。神様の大きな愛の中で、まずわたしたち自身が心の傷を癒され、変えていただきたいと思います。そうすれば、家族や友人をありのままに受け入れ、彼らが変わるのを手助けすることだってできるようになるでしょう。人間は、愛の中でだけ変わることができる。そのことを、心にしっかり刻みたいと思います。
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