祈りの小箱(90)『天国の誕生日』


『天国の誕生日』
 家族や友人との死別は、どんな場合でも耐えがたいほどつらいものです。最愛の人が冷たくなって横たわり、2度と目覚めない。もう話すことも、ほほ笑みを交わすこともできない。目の前で起こっているその現実に直面したとき、わたしたちは胸が張り裂けるほどの悲しみと苦しみに襲われます。それは、人間として当然のことでしょう。
 ですが、そんなときでも、悲しみに呑みこまれることがないようにしたいと思います。なぜなら、この世界には、わたしたちの目に見えているのは違った現実、目に見えないもう一つの現実が存在するからです。わたしたち人間の目には死に見え、終わりと思えるその出来事は、神様の目から見たときには誕生であり、始まりなのです。誰かが肉体の死を迎えるとき、その人は天国で永遠の命を頂き、永遠の幸せに入るのです。わたしたちが地上で悲しみのうちに葬儀を行っているとき、天国では喜びのうちにその人を歓迎する祝宴が行われている。そのことを忘れないようにしたいと思います。それは、イエス・キリストが十字架上で「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」と1人の罪人に約束したとおりの現実です。神を信じ、神に身を委ねて死を受け入れた人を、神は必ず天国に迎え入れて下さるのです。
 中国の故事に「芋虫にとっての死は、蝶にとっての誕生」という教えがあるそうです。地上で仲間の芋虫たちが集まって、その芋虫の死を悲しんでいるとき、頭上では美しい蝶が大空を楽しそうに舞い踊っています。それと同じように、わたしたちが悲しみのうちに誰かの葬儀をしているとき、天国では永遠の命に移されたその人が天使や聖人たちと共に喜びの歌を歌っているのです。天国から地上で泣いているわたしたちの姿を見れば、きっとその人とは悲しむことでしょう。そして、いま自分は天国でこんなに幸せだということを知ってほしいと願うに違いありません。地上のわたしたちの目には死と見え、終わりと思える出来事が、神様の目から見たときには誕生であり、始まりであること。誰かがこの世を去った日、地上での命日は、その人が天国で永遠の命を頂いた日、天国での誕生日だということを忘れないようにしたいと思います。
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