祈りの小箱(149)『孤独の痛み』


『孤独の痛み』
 たくさんの人たちと一緒にいても、ふっと孤独を感じることがあります。「誰も自分のことを大切にしてくれない」、「誰も自分を受け入れてくれない」、そのように感じるとき、どんなにたくさんの人たちと一緒にいてもわたしたちは孤独なのです。どんなに電話で話しても、どんなにメールをやり取りしても、「相手が自分を大切に思ってくれている」、「相手が私を受け入れてくれた」と確信できるまで、孤独の痛みが止むことはありません。自分は愛されているという確信が持てないこと、それが孤独の正体なのです。
 反対に、一人ぼっちでも、孤独をまったく感じないこともあります。それは、「自分は誰かから愛されている」と確信できるときです。誰かの愛を実感しているとき、わたしたちは一人ぼっちでも、決してさびしいとは感じません。英語でいうならそのような孤独は、lonelinessではなくsolitude。「満たされた孤独」とでも言うべきものなのです。たとえ離れ離れで連絡を取れない恋人同士であっても、互いの愛を信じて疑わないなら、孤独を感じることはないでしょう。逆に、同じ屋根の下に澄んでいても、互いの愛を信じられないなら、その人たちは孤独に違いありません。
 「満たされた孤独」を作り出すのは、人間からの愛だけとは限りません。たとえ自分を愛してくれる人がいなかったとしても、世界中の人から忘れられてしまったとしても、わたしたちには神様がいます。神の愛を信じ、神の愛に満たされているなら、わたしたちは決してさびしくないのです。
 孤独からの本当の解放は、神の愛の中だけにあるとさえ言ってもいいかもしれません。どんなに愛を確認したとしても、人間の心は変わりやすいので、わたしたちはすぐにまた愛を確かめたくなってしまいます。何度、孤独から解放されたとしても、またすぐに孤独に戻ってしまう。それが、人間同士の愛の限界だと言っていいでしょう。ですが、神の愛は決して変わることがありませんから、確認する必要がありません。神の愛を信じ、神の愛に満たされたときにだけ、愛を確認したいという強迫観念からまったく自由になることができるのです。孤独から自由になるために、一人になって神と向かい合う時間、祈る時間を大切にしたいと思います。
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