祈りの小箱(164)『仕事の意味』


『仕事の意味』
 これまで当たり前にしていた仕事が、急に耐えがたいほどの苦役に感じられるようになることがあります。それは、仕事の意味を見失い、「一体、何のためにこんなことをしているんだろう」と考え始めたときです。たとえばわたしの場合なら、これまで当たり前にしていた教会や幼稚園の仕事に、急に意味が感じられなくなるのです。「こんなことは、自分のすべきことではない。自分が本当にすべきことはもっと他にある。」そう考え始めると、もう日々の奉仕は時間の無駄遣いとしか感じられなくなり、耐えがたいものになっていきます。
 たいがいはとても疲れているときですが、そんなときわたしは、祈りの中で自分が神様から与えられた使命を思い出すようにしています。自分が一体何のためにここにいるのか、神様が望んでおられることは何なのか。そう問いかけるうちに、心の安らぎを求めて教会にやって来る信者さんたちの顔や、たくさんの悩みを抱えた幼稚園のご父兄、わたしが行くのを待っていてくれる子どもたちの顔が思い出され、自分がしていることの意味がはっきりと心に蘇ってきます。わたしは、この救いを求めているこの人たちに、神様の愛を届けるためにこの地に派遣されてきたのです。わたしがすべきことは、どこか遠い所の理想的な仕事ではなく、いまここで神様から与えられたこの人たちに奉仕することなのです。
 そのことを思いだすと、それまで耐えがたい苦役と感じられていた同じことが、その瞬間からやり甲斐に満ちた仕事に戻ります。これは本当に不思議なことです。人間は、無意味な仕事に耐えられないのかもしれません。そして、仕事に意味があるかどうかを決めるのは、わたしたち自身なのです。これまでと同じ仕事を、急に重く感じるようになったときには、「自分はいま、目的を見失っているのかもしれない」と疑ってみたらいいでしょう。
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