福島はいま〜2014年9月、福島市・南相馬市
福島市、桜の聖母短期大学の公開講座「福島復興講座」でマザー・テレサのお話をさせていただくため、2泊3日で福島に行ってきました。福島のいまの様子をご紹介したいと思います。まずは、福島(ふくしま)と神戸(こうべ)を結んで「ふっこう」を目指す、「ふっこうのかけ橋」プロジェクトに参加してくれた子どもたち、お母さんたちの様子から。
福島側のとりまとめをして下さっているシスター江川の計らいで、カレー・パーティーが実現しました。しばらく見ないあいだにみんな大きくなっていて、びっくりでした。中には、山口でのプログラムに参加したことがきっかけで、広島教区の青年キャンプに参加した高校生も。「ふっこうのかけ橋」が、どんどん大きくなっていきます。来年は、わたしたちの宇部・小野田ブロックにも、福島の子どもとお母さんたちをお招きする予定です。
会場を貸して下さったコングレガシオ・ノートルダム修道会の聖堂。カレーを食べながらお母さんや子どもたちと話しましたが、状況は昨年からほとんど変わっていないとのこと。プールは閉鎖され、海にも行けず、今年は泳げなかったそうです。専門家の話しも人によって全く違い、結局、誰の言うことを信じていいか分からない。福島は安全と主張する学者を信じる住民と、危険と主張する学者を信じる住民とのあいだに分裂と緊張が生まれている、という声も聞かれました。福島のこのような状況を無視して原発が再稼働されていくことに大きな疑問を感じるという方もいました。
カレー・パーティーが終わって、いよいよ「福島復興講座」が始まりました。「福島復興講座」は、さまざまな分野の専門家を招いて、福島の復興を励ます話を聞く講座です。今回わたしは、「苦しみを越えて一歩を踏み出す力」をテーマにしてマザー・テレサの生涯や信仰についてお話ししました。福島だけでなく宮城、山形などからわざわざ来て下さった方もいて、本当にありがたかったです。(講座の様子は、のちほどYoutubeにアップする予定です。)
「福島復興講座」が終わった後、レンタカーを借りて南相馬市にあるカリタス原町ベースに向かいました。カリタス原町ベースは、カトリック教会が運営する国際的NGO、カリタスが設立した福島復興支援のための最前線基地。山道を1時間半ほど走って到着したときには、すでに日が暮れていました。
仮設住宅の隣の公園で行われている、朝のラジオ体操に参加しました。放射能の汚染が信じられないくらい、とてもすがすがしい朝でした。
街のあちこちに建てられている仮設住宅。仮設住宅が建設されてから、もう3年あまりになりますが、いまだに震災公営住宅の建設は進んでいません。仮設住宅から全員が震災公営住宅などに引っ越すまでに、まだ数年はかかるだろうとのことでした。その日が来るまで、隣近所助け合いながらの仮設住宅暮らしが続きます。
カトリック原町教会と、新しくなった小百合幼稚園の園庭。原発事故前は80人いた園児が、いまは30人にまで減ってしまったとのこと。アンパンマンが見守るなか、南相馬の未来をかけて頑張っています。
すっかり荒れ果て、ススキが生い茂るJR常磐線。この方向に福島第一原発があります。復興への遠い道のりを象徴しているようでした。
南相馬市立中央図書館の前に置かれた線量計。事故直後に比べればだいぶ下がっていますが、事故前と比べるとまだまだ高い値です。
道端で見かけたコスモス。真っ青な空に向かって、精一杯に花を咲かせていました。
2012年6月の開所以来、福島復興支援の最前線基地として活用されているカリタス原町ベース。これまでに宿泊したボランティアは、延べ1500人以上になるそうです。ただ、震災から3年半を経てボランティアの数は減少の一途。運営資金となる募金も少なくなっているとのことでした。最近、避難が解除された地域での家の片づけなど、仕事はまだまだあるようです。どうぞ、皆さんも一度お訪ね下さい。
★原町ベースのHP⇒ http://www.jlmm.net/ctvc/01/02-2/haramachi/
★寄付金の振込先(原町ベース宛てと振込用紙に明記してください)⇒ http://www.jlmm.net/ctvc/vff/donation.html
被災者の皆さんの交流の場として開設されている「トマト・サロン」で、マザー・テレサのお話をさせていただきました。原町教会の信者さんと合せて、40人ほどの方が参加してくださいました。
お話し会のあと、地元で獲れた栗をふんだんに使った栗ご飯をいただきました。とてもおいしかったです。
食事をしながら皆さんが口々に言っていたのは、「若い人たちに帰って来てほしい」ということ。若い人がいない地域には未来がありませんから、ご高齢の皆さんがそう願うのは当然のことです。ですが、ここは福島第一原発からわずかに25キロ。放射能を心配して帰ってくるのをためらう若い人たちの気持ちも分かります。話を聞きながら、とても複雑な気持ちになりました。
終戦の年に18歳だったというシスター佐々木(推定年齢87歳)が、パソコンに向かって資料を作成していました。福島復興支援の最前線、カリタス原町ベースの主戦力として活躍中です。
原発事故の後、南相馬市に修道院を設立して被災地の支援活動をしているシスターたちと記念撮影。遠くからあれこれ言うのではなく、現地に暮らし、被災者の苦しみに寄り添う姿勢に頭が下がります。
原町から福島市に戻る途中、全村避難中の飯舘村を通りました。かつては「日本のスイス」と呼ばれた美しい田園が、今では荒れ果ててこの通り。村のあちこちで、除染活動が行われていました。
全村避難中の福島県飯舘村。あちこちに、大きな黒い袋が積み上げられていました。あといくつこの袋を積み上げれば、除染が完了するのでしょう。
道端で、コスモスが花を咲かせていました。置かれた場所で、力の限りに咲いてます。
途中でお腹がすくといけないからと、信者のおばあさんが帰りに持たせてくれたお握り。福島の特産品の海苔をたっぷり使っています。新幹線の中で、ありがたく食べさせてもらいました。2泊3日の短い滞在でしたが、ほんとうにたくさんの恵みと課題をいただいた今回の福島訪問。また近いうちに訪ねたいと思います。