祈りの小箱(189)『愛とは』


『愛とは』
 「すべてを自分の思った通りにしたい」という思いは、人間の最も根源的な欲望だと言っていいでしょう。キリスト教では、人間が例外なく誰でも持って生まれてくるこの欲望のことを、原罪と呼んでいます。自分自身を神にし、自分が善悪の基準となり、世界を自分の思った通りに動かしたいという欲望こそ、人間をあらゆる罪に招く「罪の根源」なのです。
 ですが、言うまでもなく、この欲望は人間を幸せにすることが決してありません。もし全世界が自分の思った通りに動いたとしても、人間はそれだけで幸せになることができないのです。神様は人間を、互いに愛し合うようにと創造されましたから、わたしたちは互いに愛し合わない限り決して幸せになることができないのです。
 愛するということは、「相手を自分の思った通りに動かす」ということとはまったく逆のことです。愛するとは、むしろ自分の思った通りにならない相手をゆるし、ありのままに受け入れるということなのです。相手を大切に思い、相手のよいところも悪いところもそのまま受け入れるということなのです。どちらかがどちらかの思った通りになるというような関係は、愛ではなく隷属であって、決してわたしたちを幸せにすることがありません。
 「すべてを自分の思った通りにしたい」と願う原罪と「思った通りにならない相手を受け入れたい」と願う愛は、決して両立することがありません。もし原罪にしがみつくなら、たとえ全世界を手に入れたとしても、愛を失うことになるでしょう。すべてを手に入れることによって、人間にとって一番大切なものを失うことになるでしょう。原罪の苦しみと愛の喜び、どちらを選ぶのか、きっぱりと決断したいと思います。
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