バイブル・エッセイ(468)心の中から出てくるもの


「心の中から出てくるもの」
 イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(マルコ7:14-15,21-23)
「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが人を汚す」とイエスは言います。汚れた手で食事をしたとしても、それで魂が汚れることはない。魂を汚すのは、むしろわたしたち自身の中から出てくるものだというのです。
 これは食事だけに限らず、人間の言葉にも当てはまるでしょう。皮肉のたっぷりこもった嫌味な言葉や、事実無根の悪口、八つ当たりとしか思えない乱暴な言葉などは、それ自体としてわたしたちを汚すことがありません。心の中に入らなければ、ただの音として通り過ぎるだけだからです。ですが、言葉にこめられた悪意がわたしたちの心の中に入り込むと、わたしたちの心の中から怒りや憎しみ、殺意などが湧き出してきます。そのような思いがわたしたちの魂を汚すのです。悪意のこもった言葉に対する最も有効な対処の仕方は、心に入れないことだと言っていいでしょう。
 ですが、なかなかそううまくはいきません。どんなに心に入れまいとしても、それらの言葉は心の中に入って来て、わたしたちの魂を蝕み始めるのです。なぜ心の中に入ってしまうのでしょう。それは心に隙間があるからです。不安や恐れ、疑いなどの隙間があると、そこから相手の悪意が心に入ってくるのです。悪意を入れないためには、心の隙間を埋めるしかありません。心を愛で一杯にし、すべての隙間をふさいでしまえば、悪意は心に入ってくることができないのです。
 愛で心を一杯にするには、祈りによって神としっかり結ばれ、神の愛をたっぷりと受け止めていること。そして、確かな人間関係を築き上げ、周りの人たちから愛をたっぷりと受け止めていることです。心に隙間風が吹いたとき、その隙間から悪意が入ってくると思ったらいいでしょう。普段は気にならないような一言に腹が立って仕方がないようなときには、自分の心に隙間が空いていないかを確認することです。忙しくて祈りの時間が十分にとれていないとき、家族や友人との関係がぎくしゃくしているときなどに、そんなことが起こりがちなのです。
 心が愛で満たされている人は、悪意を心に入れないだけでなく、悪意を愛で包み込んでゆきます。心が愛で満たされている人は、誰かの悪意にさらされたとき、「なぜこの人は、こんなひどいことを言わなければならないのだろう」と考えるのです。大きな愛に包まれるとき、悪意はしだいに力を失い、やがて消えてゆきます。悪意を包み込んでも、わたしたちの魂が汚されることは決してないのです。
 わたしたちの心の中から生まれるものが自分を汚す、ということを忘れないようにしたいと思います。「作用と反作用」と言いますが、外からやって来る作用は、相手を汚すだけでわたしたちを汚すことがありません。作用に対してわたしたちの心から生まれる反作用が、わたしたちを汚すのです。心が清い人とは、悪いものが入り込む隙間がないくらい、心が愛で満たされている人のことです。いつも心を愛で満たしていることができるように、祈りの時間、家族との交わりの時間を大切にしてゆきましょう。