バイブル・エッセイ(830)キリストの国

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キリストの国

(そのとき、ピラトはイエスに、)「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ18:33-37)

「わたしの国は、この世には属していない」とイエスは言います。ピラトの問いに対して、自分が王であることは否定せず、ただ自分の国はこの世に属していないと答えるのです。では、キリストが王として治める国とはどんな国なのでしょう。「真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」という言葉がその答えを暗示しています。キリストが治める国とは真理の国。真理に属する人は、皆、その国の頂点に立つキリストの声に従うのです。
 この世の王とは誰でしょう。我が物顔でこの世界を動かす、大金持ちや権力者たちは、ある意味でこの世の王と言っていいでしょう。さらに言えば、お金や権力そのものが、この世界を支配している王だと言ってもいいかもしれません。何かを選んだり、決めたりするとき、真っ先に「これは自分にとって得になるだろうか。お金や権力を手に入れるのに役立つだろうか」と考える人は、皆、お金や権力に従って生きる人たちであり、お金や権力が頂点に立ってその人たちを支配しているのです。いつも金儲けのこと、立身出世のことばかり考えて生きている人は、まさにこの世に属し、この世の王に仕える人だと言っていいでしょう。
 キリストが治める真理の国は、このような地上の国とはまったく逆の世界です。この国に属する人は、「自分にとってどちらが得か」というような考え方はしません。どんなときでも真理を追い求め、「どちらが正しいだろうか。どちらが神のみ旨にかなうだろうか」と考えて生きるのです。キリストが説いた真理の核心は、神が愛であること、愛を生きることこそが神のみ旨にもっともかなうということですから、真理に従う人は同時に愛を生きる人。キリストの国は真理の国であると同時に、愛の国だと言ってもいいでしょう。どんなときでも真理のため、愛のために生きようとする人々こそ、キリストが治める国に属する人々であり、神の国の民なのです。
 この世界は、この世の国と、目に見えないキリストの王国に分かれていると言ってもいいかもしれません。地上の国は、きらびやかな邸宅、高層ビル、華やかな暮らし、極端な貧富の差など、目に見える形でこの世界に広がっています。それに対して、キリストの王国は、目に見えない形で世界の隅々まで広がっています。どんな国や文化の中にあっても、真理を追い求め、愛を生きようとする人たちはいるからです。キリストの国は、地上のあらゆる壁を越えると言ってもいいかもしれません。真理を追い求め、愛を生きようとする人々と共に、この国を守り、さらに広げてゆくことができるように祈りましょう。