バイブル・エッセイ(1013)思い込みを取り除く

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思い込みを取り除く

 そのとき、イエスは弟子たちにたとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」(ルカ6:39-45)

 「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」と、イエスは弟子たちに言いました。自分自身もよく見えていないのに、どうして他人のことが指導できるのかということです。それはまるで、目の見えない人が目の見えない人の手を引くようなもの。まず、自分の目から丸太を取り除いてよく見えるようになりなさい。イエスは、そう弟子たちに教えたのです。

 丸太というのは、何かについての思い込みだと考えたらよいでしょう。本当はそれが何であるかよくわかっていないのに、分かったつもりになって、もうそれを見ようともしない。自分が知らないことを知っていると思い込み、それに対して目をつぶってしまう。そのような思い込みをいくつも持つことによって、わたしたちの目は見えなくなってしまうのです。

 このような丸太は、気がつかないうちにわたしたちの目の中に入っています。わたしが最近気づいたのは、教会の図書を整理していたときのことです。本棚の入れ替えに伴ってすべての本を一度出し、点検していたのですが、そのとき一群の古い本を見つけました。岩下壮一神父など、第二バチカン公会議前に活躍した神学者たちの本です。わたしの思い込み、わたしの目の中にあった丸太は、「この人たちは偉大な先人だが、考え方は古くてあまり参考にならない」ということでした。ところが、ちょっと頁をめくって読み始めてびっくり仰天。確かに、ある種の古さはあるのですが、そこに書かれていたのは、いまわたしが一番関心のあること。まさに知りたいそのことだったのです。目の前に一番知りたいことが書かれた本があったのに、気づいていなかった。まったく何も見えていなかったと気づかされ、自分の愚かさを思い知らされる体験でした。

 本だけではありません。このようなことは、折に触れてよく起こります。ある人について、「あの人はこんな人」、あるグループの人たちについて「あの人たちはこんな人たち」と決めつけ、もう相手を見ようとしない。そんなことがよくあるのです。たとえば、「あのおじいさんはもうボケているから」と決めつけていたけれど、あるときふと悩み事を打ち明けてみたら、人生体験に裏打ちされた絶妙のアドバイスが返ってきた。「あの若者たちは自分勝手で反抗的」と決めつけていたけれど、よく話を聞いてみると、深く傷ついて助けを求めている若者たちだった。そんなことがあったとき、わたしは自分がまったく見えていないことを痛感し、「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け」という聖書の言葉を思い出すのです。

 おがくずや丸太がない目、よく見える目とは、すべての被造物の中に神の愛を見つけ出せる目のことでしょう。思い込みを取り除いてよく見れば、この世界は、神さまからの恵みで満たされているのです。思い込みを取り除き、目を開いてよく見ることができるように。何度でも見返して、相手の中に宿った神の愛に気づくことができるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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