バイブル・エッセイ(1167)心を開く

心を開く
 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。(マルコ10:17-22)

 イエスが金持ちの青年に、「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と語りかける場面が読まれました。「律法の掟を守って真面目に生きてきたあなたにも、まだ欠けているところがある。それは、貧しい人たちへの思いやりだ」、イエスはきっとそう言いたかったのだと思います。永遠の命を受け継ぐため、神の愛と結ばれて永遠の喜びを生きるためには、貧しい人たちと、愛の絆で結ばれる必要があるのです。
 神さまを愛するといいながら、自分たちのそばにいて苦しんでいる神さまの子どもたちを無視するなら、神さまとの間に結ばれた愛の絆はまだ不完全だと言えるでしょう。神さまを愛しているなら、当然、神さまの子どもであるすべての人々を愛するはずだからです。「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(一ヨハ4:20)とヨハネの書簡にありますが、わたしたちは、目に見える貧しい人たちと結ばれることによってのみ神さまを愛し、神さまと完全に結ばれて永遠の命を受け継ぐことができるのです。
 イエスの言葉は、わたしたちにも当てはまるように思います。ウクライナやガザ、レバノンなどでの戦争や世界各地での自然災害のニュースが連日のように報道されるなかで、わたしたちはつい、一つひとつの報道に対して無関心になってしまいがちだからです。「ああ、またか。かわいそうだが、わたしには何もできない」、そう考えて心を閉してしまうなら、わたしたちもこの金持ちの青年と同じだと言えるでしょう。他のすべての掟を守っていたとしても、毎週教会に通って祈っていたとしても、わたしたちと神さまとの関係は、まだ不完全なものなのです。
 ではどうしたらいいのでしょう。真っ先にするべきなのは、貧しい人たちのために祈ることだと思います。なにしろまず祈る。貧しい人たちの苦しみを、しっかりと心に刻んで忘れない。貧しい人たちと、祈りの中でしっかりつながる。それがすべての出発点になります。祈っていれば、教会で募金箱を見かけたとき、テレビなどで募金を呼びかけているのを見たとき、すぐに行動に移せるはずです。それ以外にも、ボランティア活動など、何か自分にできることが見つけられるかもしれません。貧しい人たちのために祈り、貧しい人たちとつながる。それがすべての出発点なのです。
 貧しい人たちのために祈るとき、わたしたちの心にさわやかな聖霊の風が吹き込んできます。「よく気づいた。わたしの子どもであるこの貧しい人たちのことを、決して忘れないでおくれ」と、神さまがわたしたちに語りかけているようです。貧しい人たちに心を開くことで、わたしたちの心は天国に向かって開かれる。そう言ってもいいかもしれません。貧しい人たちと共に永遠の命、永遠の幸せに与るために、心を合わせてお祈りしましょう。

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