2026-01-01から1年間の記事一覧
希望で満たす バケツを新しい水で満たすには、まず中の古い水を捨て、汚れを洗い流す必要があります。人間の心もそれと同じ。心にたまった思い込みや執着を手放し、こびりついた悪意を洗い流したとき、わたしたちの心は新しい希望に満たされるのです。 『悲…
まだ罪人であったとき そのとき、イエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫…
虚しさが残る 誰かの悪口は、言っているとき気持ちよくても、言い終えたあと心にむなしさが残ります。自分のことを棚に上げて誰かを悪者にするより、自分のことを振り返り、自分自身がよい人間になることを考える方が、心のためにはよいのです。 『悲しみの…
まなざしに養われる 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べ…
消えない悲しみ 愛する人を失った悲しみは、どれほど時間がたっても消えません。その人を愛し続けている限り、その人と会えない悲しみはいつまでも残るのです。いつまでも消えない悲しみを、永遠の愛の証として抱きしめることができますように。 『悲しみの…
三位一体の愛 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれ…
小さな幸せ 他の人からほめてもらう必要はありません。自分にとって楽しいこと、それをしているだけでうれしくなることが日々の生活の中にいくつかあり、一日に何度か、心の底からにっこりほほ笑むことができる。それが幸せということなのです。 『悲しみの…
聖霊の喜び その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子た…
死んでも生きる 死について体験から言えるのは、死んだ人が残してくれた愛は、わたしたちの中でいつまでも生き続けるということ。自分の使命を果たし抜いた人の生涯は、道しるべとなってわたしたちの人生を導き続けるということ。死んでも生きるということは…
神さまの愛を証しする 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうと…
楽しんで生きる 「本当に楽しい日だった」と思える一日を重ねてゆけば、いつか「本当に楽しい人生だった」と思って生涯を終えられるでしょう。人がどう思うかを、気にする必要はありません。この一日を、心から楽しむことができますように。 『悲しみの向こ…
愛のしるしとして生きる 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、…
やりたい理由 「できない理由」がもし百個あったとしても、「どうしてもやりたい理由」が一つあれば、道は必ず見つかります。先のことを想像して「できない理由」を探すより、初めにあったはずの「どうしてもやりたい理由」を思い出しましょう。 『悲しみの…
声を聞き分ける 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す…
本当にやりたいこと どんなに世間から評価されても、本当にやりたいことをしなければ悔いが残るでしょう。本当にやりたいことを選んだなら、世間に評価されなくても悔いは残りません。他人に納得してもらえる人生ではなく、自分が納得できる人生を選べますよ…
心に語りかける声 この日、(すなわち週の初めの日、)二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩…
互いに喜びあう わたしたちが見ているのは、相手の人生のほんの一部分。相手が見せる一番よいところだけを見て、うらやましがっても仕方がありません。むしろ、つらいことが多い人生の中に起こったささやかなよいことを、互いに喜びあって生きてゆけますよう…
見ないのに信じる その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。…
出会い これまでの人生は、この出会いのための準備だった。ここから本当の人生が始まる。そう思えるほどの出会いが、確かに存在します。まだ出会っていないなら、その出会いを楽しみに待ち、もう出会ったなら、その出会いを大切に育てましょう。 『悲しみの…
自分のすごさ 自分に価値があると思えないときは、他人と比較するのをやめ、自分の成長だけを振り返ってみましょう。これまでどれだけ努力し、どれだけの困難を乗り越えてきたか。その一つ一つを思い出せば、自分がどれだけすごいか分かるでしょう。 『悲し…
光に向かって歩む道 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた…
原点に立ち返る さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように…
従順の道、愛の道 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。…
互いに足を洗い合う 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを…
出会えた奇跡 早すぎる別れが訪れたときには、「こんな短いあいだしか、この人と一緒にいられなかった」と嘆くのではなく、「たとえ短い時間でも、この人と一緒にいられた」と思って感謝しましょう。わたしたちに与えられる、すべての出会いは奇跡なのです。…
自分を救えない救い主 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、…
命の尊さ 自分の命の尊さに気づけば、自分を大切にできるでしょう。相手の命の尊さに気づけば、相手を助けたいと思うはずです。動植物の命の尊さに気づけば、自然を守りたいと思うに違いありません。命の尊さに気づく、すべてはそこから始まるのです。 『悲…
光の中を歩む そのとき、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで…
ただそこにいる 「自分には何もできない」と、責める必要はありません。あなたが、ただそこにいるというだけでうれしい人が、必ずいるからです。あなたがただ生きていて、いつも通りにっこりほほ笑んでいる。ただ、それだけでよいのです。 『悲しみの向こう…
渇かない水、裏切らない希望 そのとき、イエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サ…