カルカッタ報告(72)8月28日カーリー寺院①


 カーリー寺院の近くに車が止まったとき、時刻はもう5時を過ぎていた。わたしたちがカーリー寺院の参道を歩いていると、ちょうど午後の仕事を終えて「死を待つ人の家」を出てきたボランティアたちとすれ違った。午後のボランティアの仕事は5時までなのだ。
 今回、「死を待つ人の家」にはすでに2回行ってボランティアをしたが、その隣にあるカーリー寺院にはまだ行っていない。1年間滞在したときも、毎日のように「死を待つ人の家」に行っていながらカーリー寺院を訪れたのは1回くらいだった。わたしにとっては、カーリー寺院よりも、その隣の建物の方がもっと重要だったからだ。
 だが、ヒンドゥー教徒たちにとっては事情がまったく違う。彼らはわざわざカルカッタ中、あるいはインド中からこの場所に巡礼に来る。伝説によれば、死んだ妻サティーの遺体を抱いて荒れ狂うシヴァを鎮めるためにビシュヌが円盤を投げてサティーの体を切り刻んだとき、サティーの踵が落ちた場所にこの寺院が建てられたのだという。その後、サティーの化身であるカーリーがここで祭られるようになったそうだ。
 カーリーは、全身真っ黒で、口から赤い舌を垂らした女神だ。首から敵の生首を下げ、腰は敵から切り取った手足を束ねて覆っている。見るからに残虐で、恐ろしい女神だ。なぜヒンドゥー教徒たちはこんな女神を拝みに来るのか、正直言ってわたしには理解できない。
 殺戮と流血を好むカーリーのために、この寺院では毎日午前中、ヤギなどがいけにえとして捧げられている。その捧げ方がまたすごくて、石で造られた台の上にヤギを固定して、その首を刀で跳ねるのだ。ここでは、毎日そういうことが行われている。生き物の命を尊び、肉食をしない人たちまでいる宗教の中にこんな習慣があるというのは本当に不思議だが、それもヒンドゥー教の奥深さなのだろう。 
※写真の解説…カーリー寺院の参道を行くメンバーたち。