バイブル・エッセイ(104)祈りの眼差し


 エスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。(ルカ18:35-43)

 「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」こうイエスが言われると、盲人の目はたちまち開き、すべてが見えるようになりました。胸を突き動かされるような場面だと思います。
 この盲人は信仰によって肉の目を開かれましたが、わたしたちもイエスに目を開いていただく必要があるのではないかと思います。なぜなら、わたしたちの目には神の恵みの世界が見えていないからです。例えばこの季節、道を歩いているとあちこちに美しい落ち葉が散っています。その一枚一枚が、信じられないほど美しい色で輝きながらわたしたちを神の恵みの世界へと招いているのですが、わたしたちはそれに気づかずに通り過ぎてしまいます。家に帰ってあれをしなければとか、誰かから嫌なことを言われたから今度会ったらこう言い返してやろうとか、そんなことばかり考えていて恵みの世界への入り口を素通りしてしまうのです。
 神の恵みの世界は、いたるところからわたしたちに姿を見せています。ですが、それに気づくためには信仰が必要なのです。いつも目を開き、すべてのものの中に神の恵みを感じ取る目が必要なのです。「見えるようになれ、あなたの信仰があなたを救った。」イエスは、わたしたちにも今、同じ言葉で呼びかけておられます。自分自身のことばかり見るのをやめて、神の恵みの世界に目を開きたいものです。
※写真の解説…銀杏の降り積もった歩道。2007年、新宿御苑にて。