バイブル・エッセー(991)誰が本当に偉いのか

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誰が本当に偉いのか

 そのとき、イエスは12人を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:41-45)

 誰が高い地位に着くかをめぐって争っている弟子たちに、イエスは「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人のしもべになりなさい」と言いました。偉い人というのは、人々を仕えさせ、顎で使う人ではなく、むしろ、人々のために自分を惜しみなく差し出す人、人々に仕える人のことだとイエスは言うのです。偉さというのは、権力や財産、名誉などを手に入れ、世間から評価されることではなく、神の子らしく生きて、神に喜ばれることにある。そう言ってもよいでしょう。

 先日、幼稚園の運動会で感動的な場面がありました。運動会のクライマックス、年長さんによるクラス対抗リレーの結果発表のときのことです。1位で呼び上げられたクラスの子どもたちは大喜びでしたが、最下位になってしまったクラスの子どもたちは、先生の周りに集まって泣き出してしまいました。先生ももらい泣きしてしまい、それを周りで見ていたわたしたちも思わず涙ぐむというような状況でした。そのとき、先生が泣きながら子どもたちに言いました。「みんなクラスのために本当によく頑張ってくれたね。先生は、それがとてもうれしいです」。その言葉を聞いて、子どもたちは少し元気を取り戻したようで、中には大きくうなずいてほほ笑んだ子もいました。リレー自体も感動的だったのですが、この場面も本当に感動的でした。先生の言葉がけも、子どもたちの心にしっかり寄り添うすばらしい一言だったと思います。

 世間一般では、競争に勝ち、優勝した人が偉いと言われるのかもしれませんが、偉さの基準は、確かにもう一つ存在します。それは、クラスやチームなど自分が属する共同体のみんなのため、そして、応援してくれているみんなのために全力を尽くして頑張ったということです。みんなの喜ぶ顔を見たくて、みんなのために苦しさを乗り越える。最後まで頑張って走り抜く。その姿は、結果がどうであったとしても、惜しみない賞賛に値するのです。神さまが喜ばれるのは、むしろそのような偉さの方だと言ってよいでしょう。少なくとも、イエスが「偉くなりたいなら」というときの偉さが、こちらの方の偉さであるのは間違いありません。

 神さまを喜ばせる本当の偉さは、仕えられることよりも、仕えること。愛されることよりも、愛することの中にあります。神を信じる人にとっては、権力や地位、名誉などを持つことで得られる偉さよりも、神さまのため、大切な人たちのために自分を喜んで差し出す偉さの方が、はるかに大切なのです。そのことを思い出せば、神を信じる人たちのあいだで権力や地位、名誉などをめぐって争うことが、どれほど無意味なことかわかるでしょう。クラスの仲間のため、応援してくれるみんなのために精いっぱい最後まで走り抜いた子どもたちのように、わたしたちも神さまのため、愛する仲間たちのために自分を差し出すことができるよう祈りましょう。

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