フォト・エッセイ(45) 分岐点


 わたしが知っているのは、30年という「かなの家」の長い歴史の中の最近8年だけのことだが、この短い期間にも「かなの家」は少しずつ変化している。わたしが初めて行ったころ、「かなの家」はまだ社会福祉法人ではなかったし、現在施設の中心になっている「まどい作業所」もなかった。「つどい」と呼ばれる足久保の家が中心で、「いぶき」という新しい家が近くにできたばかりの頃だった。わたしの記憶のなかに残っているあの頃の「かなの家」は、とても貧しいけれども明るくて温かい家庭のイメージだ。
 社会福祉法人になったことで、「かなの家」は一回り成長した。明るくて大きな「まどい作業所」ができ、新しい車も入った。近隣から通ってくる仲間の数も増え、「かなの家」はしだいに大家族になっていった。作業所が大きくなり、仲間の人数が増えても、みんなが気さくに思っていることや感じていることを分かち合える雰囲気は健在だし、「一番小さくされている人たちの友になる」というラルシュの精神も生きている。「つどい」や「いぶき」の家に帰れば、以前と同じように仲間たちと住み込みのアシスタントたちが喧嘩したり笑ったりしながら一つの家族を作り上げている。
 今春、「めぶき作業所」という新しい作業所ができた。その隣に、来春には新しいグループ・ホームができるという。そして、長い間「かなの家」の中心だった足久保の「つどい」の家は解体されることが決まったそうだ。足久保川の流れの近くにあり、美しい茶畑に囲まれた「つどい」の家がなくなってしまうのは、正直言って少しさびしい。普通の民家を改造しただけの「つどい」の家は、ほんとうに家庭的な雰囲気をかもしだしていた。新しい家がそれに代われるようなものになるのかと思うと、やや心配でもある。
 一般論で考えれば、貧しさは緊張感と同時に活力を生み、豊かさは安定感と同時に精神の停滞を生むと言えるだろう。しかし、貧しさを賛美して、仲間たちに苦しい思いをさせるのは本末転倒だ。豊かさの中でも、精神が生き続ける道を探すのが一番賢明だろう。ラルシュの創立の精神は、知的障害を負っているために家庭の温かさから切り離され、孤独のなかに苦しんでいる仲間たちが、家族の愛を感じながら生きられる場を作りたいということだったと聞いている。場所が変わっても、その精神さえ生き続けるならば「かなの家」はいつまでも暖かい大家族が住む家であり続けるだろう。来春、また一回り成長した「かなの家」と出会うのが楽しみだ。




※写真の解説…1枚目、仲間たちが育てた稲。2枚目、「かなの家」の農園。3枚目、足久保の茶畑。