ホテルで30分ほど休憩し、再びマザー・ハウスに向かった。みんなよりも一足早くマザー・ハウスについたので、わたしはマザーの墓の前で祈ることにした。最後のミサで、一体何を話し、何を伝えたらいいのかにまだ迷いがあったからだ。福音朗読は、教会の暦に従って主日のものをそのまま使うことにしていた。
冷たい墓石の上に手を乗せて祈っていると、不思議とその冷たさを通してマザーのぬくもりが全身に流れ込んでくるような気がした。そのぬくもりの中で、頭の中にあった迷いはきれいに整理され、話すべき言葉を与えられたように感じた。マザーが一緒にいてくれるならば、何も心配することはない。
マザーの墓の前での最後のミサには、ひと足先に帰国した川崎さんを除くグループのメンバー全員と五十嵐さん、そして数人のシスターが参加してくれた。姿は見えなかったが、Sr.マーガレット・メリーも天国からマザーとともにこのミサに参加しているのを感じた。
この1週間、体力の限界に挑戦したと言っていいくらいハードなスケジュールで過ごしてきたが、それだけに全て終えようとしているこのときに感じる充実感は大きかった。過酷なスケジュールにもかかわらず、誰も体調を崩すことがなかったのも大きな恵みだ。マザーとSr.マーガレット・メリーが、天国からこの旅をすべてアレンジしてくれていたのではないかとさえ思える。この旅で与えられた全ての恵みに感謝しつつ、万感の思いを込めてミサを捧げた。
説教では、「清い心は神を見ることができる」というマザーの言葉を引用しつつ、わたしたちの心が利己主義の汚れから清められることを心から願った。マザーがたった1人から初めてあれだけのことを成し遂げられたのは、彼女の心が利己主義の汚れから完全に清められ、いつも神を見ていたからに他ならないと思う。清い心だけが神を見、神の愛を人々に伝えていくことができるのだ。
※写真の解説…最後のミサの様子。撮影、柾木久和さん。