バイブル・エッセイ(1050)祈り続けるために

祈り続けるために

 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ18:1-8)

 不正な裁判官が、しつこくやってくるやもめの願いを聞き入れた話を例にして、イエスは「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」と弟子たちに言いました。自分のことしか考えていない裁判官でさえ訴えを聞き入れるのだから、まして慈しみ深い天の父は、わたしたちの訴えを必ず聞き入れてくださるというのです。

 イエスがここで言いたかったのは、父である神を信頼することの大切さだと思います。わたしたちは、かなえてほしい願いがあると、一生懸命に神に祈ります。しかし、願いがなかなかかなわないと、「神に祈っても無駄だ」と考えて祈るのをやめ、今度は自分の力だけでそれを手に入れようとし始めるのです。神から離れてしまうといってもよいでしょう。大切なのは、そこで神を信頼し続け、祈り続けられるかどうかなのです。

 全能であるはずの神が、わたしたちの願いをすぐにかなえてくださらないなら、それには理由があると考えるべきでしょう。たとえば、地位や財産が欲しいという願いがかなえられないなら、それは神が、いまわたしたちがその地位や財産を手に入れれば、わたしたちのためにかえってよくないと知っておられるからかもしれません。いまその地位や財産を手に入れれば、たちまち思い上がって道を踏み外し、破滅してしまう。それがわかっているからこそ、神は願いを聞き入れてくださらないのです。神は、わたしたちのことを、わたしたち以上に知っておられます。大切なのは、神を信頼することなのです。

 わたしたちが一番よく祈るのは、家族や自分自身の死に直面したときでしょう。「どうか長生きさせてください。命を奪わないでください」と祈るのは、当然のことのように思えますが、一つだけ盲点があります。それは、死ぬのはよくないと決めつけていることです。死んだらその人が消えてなくなってしまうならば、死ぬのはよくないことでしょう。しかし、わたしたちは、死が何であるかよく知りません。もし死のあとに待っているのが、わたしたちの想像をはるかに超える安らぎや喜び、癒しであるなら、「死なせないでください」と祈るのはおかしなことです。神がわたしたちの願いを聞き入れず、死が訪れるとするなら、それは死が決して恐ろしいものではないこと。死でさえ、神からの恵みの一つであることのしるしでしょう。神は、わたしたちが知らないことについてまで、すべて知っておられます。大切なのは、神を信頼することなのです。

 願いがかなわなくても、神を信頼して祈り続ける。そのために一番よいのは、「主の祈り」を祈り続けることだと思います。神を信頼してすべてを神の手に委ね、ただ「み心が行われますように」と祈り続けるのです。そうすれば、やがて、わたしたちは自分にとって何が一番必要なものなのか、自分が知っていることは何で、知らないことは何なのかをしだいに悟ってゆくでしょう。父なる神を信頼し、何があっても「気を落とさずに絶えず祈り」続けることができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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