マニラ日記(46)ナトニンでの日々Ⅱ〜お通夜


お通夜
 今日は午後、教会から歩いて1時間ほどのとろこにあるアリアワン村まで行ってきた。カテキスタとして長年に渡って教会活動に貢献したご婦人が84歳で帰天したとの知らせがあったので、彼女の家を訪れて家族を慰め、共に祈りを捧げるためだった。
 ナトニンからアリアワンまでは、棚田の細いあぜ道を下っていく。車が通れるような道はなく、徒歩で行く以外にはない場所だ。この近隣の村はどこも同じような状況で、車で行ける場所というのは本当に限られている。パブロ神父さんが巡回している村の中で一番遠いところは、徒歩で片道8時間かかるとのことだった。幸い10年ほど前に幅60㎝ほどのコンクリートの道ができて、それが村と村をつなぐ「ハイウェイ」として機能しているのだが、ところどころ欠けたり泥で覆われていたりして決して歩きやすい道ではない。よほど気をつけていないと足を滑らせて田んぼに落ちてしまう。
 アリアワンに着くと、教会の前の広場で村の男性たちが総出で薪割りをしていた。これから4-5日のあいだ通夜が続くから、その間に必要な薪をみんなで作っているとのことだった。教会の少し上にある目的の家に着くと、今度は庭先で女性たちが米の脱穀や食事の準備に精を出していた。焼酎のようなお酒の瓶を囲んで集まり、話している男性たちもいた。死者の魂を弔うために、4-5日の間はこうしてみなんで集まって、夜も寝ないで遺体に付き添うのだそうだ。
 家に入ると、家族がご遺体を囲んで集まっていた。中には、激しく泣いている女性も何人かいた。後で聞いたところでは、死者の魂が安らかに地上を去るために大きな声で泣くのが習慣なのだという。泣きやんだ女性の一人と話していて驚いたのは、彼女がマニラにあるイエズス会の学校、ザビエル高校の教員だったことだ。村を出てマニラの大学で勉強し、マニラで最も優秀な高校と言われるザビエル高校にタガログ語の教員として採用されたのだという。先日ザビエルの記念日にザビエル高校でミサに与ったが、そのミサに彼女も参加していたらしい。どうもこの世界は狭いようだ。
※写真の解説…脱穀された米から石などを取り除く女性たち。