やぎぃの日記(150)『岳』(石塚真一作)


『岳』(石塚真一作)
 夏の疲れが出てきているのか、この数日、体力と気力が枯渇したダラダラ生活を送っている。こんなときには難しい本を読む気にもならないので、最近お気に入りのマンガの頁をめくっていた。小学館から出ている『岳』という山岳救助マンガだ。
 主人公は、島崎三歩という山好きの青年。学校を出たあと世界の名峰を単独で登山し、帰国後は山にテントを張って生活しながら山岳救助のボランティアをしている。マンガは毎回、彼が山で出会う人々の様々な人生模様を描き出していく。
 山に登るとき、人はリュックサックだけでなく、それぞれの日常生活の重荷も一緒に背負って登ってくる。会社の仕事に行き詰まったサラリーマン、痴ほう症の妻を介護する夫、酒浸りの生活の果てに妻に逃げられた男など、様々な人々が山に登って来て三歩と出会い、再び生きる力を取り戻して街に降りていくのだ。
 山で遭難して傷つき、力尽きようとしている彼らに、三歩は大きな声で「よーし、よく頑張った」と声をかける。決して「なぜこんな天候の山に登ったんだ」とか、相手の落ち度や判断ミスを責めたりすることはない。底抜けの単純さで遭難者を全面的に肯定し、受け入れ、励ますのだ。
 おそらく、三歩自身も自分の判断に自信を持てないまま、ただ山に登りたいという本能に従って全力で山登りを続けているのだろう。だから、同じように試行錯誤を続けながら全力で山登りを続けている他の誰かを責めるようなことは決してない。それぞれの頑張りを全面的に認め、心からのエールを送ることに徹する。そんな三歩と出会った人々は皆、岩と雪に覆われた山を下り、もう一度、人生という山登りを続ける力を取り戻すのだ。
 山頂を極める必要はない、山に登るプロセス自体が山登りなのだと三歩は考えている。途中で失敗し、遭難したり下山したりしたとしても、その人は頑張って立派に山を登ったのだ。山頂を極めた人だけが山に登ったのではない。遭難して亡くなった御遺体に対してさえ「よーし、よく頑張った」という彼の大きな声には、そんな意味も込められているのだ。
 山岳救助と司祭の仕事はだいぶ違うが、人生を山登りと考えれば共通点はある。山登りで遭難し、傷ついた人々を励ますのが三歩ならば、人生という山登りの途中で道を見失い、傷ついた人々を励ますのが司祭だ。わたしも三歩のように「よーし、よく頑張った」と相手の人生を全面的に肯定し、受け入れることから始めたいと思う。

岳 (1) (ビッグコミックス)

岳 (1) (ビッグコミックス)

※写真…南八ヶ岳蓼科山の山頂付近。神学生の頃は毎夏、登っていた。