2022-01-01から1年間の記事一覧

【新刊】『みんなのやさしいおかあさん マザー・テレサ』(至光社)

みんなたいせつなかみさまのこども。ほうっておくことはできないのです。 つるみゆきさんが絵を担当し、片柳神父が文を担当した絵本『みんなのやさしいおあかさん マザー・テレサ』(至光社刊)が8月5日発売されることになりました。「苦しんでいる人がいれ…

こころの道しるべ(122)一日五分の祈り

一日五分の祈り 一日のうち五分でも祈るなら、残り二十三時間五十五分の質がまったく変わります。悲しみを喜びに、絶望を希望に、不満を感謝に、心配を信頼に変えるもの、それが祈りなのです。 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366』(教文館刊) ※こ…

バイブル・エッセイ(1033)イエスと同じ愛を生きる

イエスと同じ愛を生きる イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエ…

【新刊】『何を信じて生きるのか』(PHP研究所)

人生を丸めて捨ててしまいたくなったとき、SNSのタイムラインから流れてきたツイートは...。 片柳神父の最新刊『何を信じて生きるのか』(PHP研究所刊)、7月23日発売が決定しました。物語の舞台はカトリック宇部教会。青年と神父との対話の中で、キリスト教信…

こころの道しるべ(121)偉くなっても

偉くなっても どんなに偉くなっても思い上がらない人。目の前にいる相手と、誠実に向かい合うことができる人。小さなことにも、全力で取り組むことができる人。どんなに偉くなっても、他人を見下してもよいほど偉い人などいないのです。 『こころの深呼吸~…

バイブル・エッセイ(1032)たとえわずかでも

たとえわずかでも そのとき、イエスは群衆に神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるで…

こころの道しるべ(120)本当の成長

本当の成長 悪口を言って他人を低めると、まるで自分が高くなったように感じます。ですが、それは錯覚に過ぎません。自分自身を高めることで、周りの人たちも高みへと引き上げてゆく。それが本当の成長です。 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366』(…

バイブル・エッセイ(1031)信仰の道

信仰の道 わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難…

こころの道しるべ(119)自分の立ち位置

自分の立ち位置 思い上がっては失敗して落ち込み、また思い上がっては失敗して落ち込む。そんなことを何十回、何百回と繰り返しているうちに、きっといつか、高すぎもせず低すぎもしない自分の立ち位置を見つけられるでしょう。 『こころの深呼吸~気づきと…

バイブル・エッセイ(1030)聖霊の働き

聖霊の働き 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、…

こころの道しるべ(118)怒りの原因

怒りの原因 疲れているときに、相手の何気ない一言に怒りを感じたなら、その怒りは、相手ではなく体の疲れが生んだもの。その怒りは、相手にぶつけるべき怒りではなく、疲れが取れるまでじっとこらえるべき怒りです。 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言…

バイブル・エッセイ(1029)天からの祝福

天からの祝福 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「聖書には次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから…

こころの道しるべ(117)まずは自分から

まずは自分から 「誰もわたしを大切にしてくれない」と嘆く前に、「わたしは周りの人を大切にしているだろうか」と自分に問いかけましょう。「誰もわたしの話を聞いてくれない」と嘆く前に、「わたしは人の話をよく聞いているだろうか」と自分に問いかけまし…

バイブル・エッセイ(1028)心を騒がせるな

心を騒がせるな 「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお…

こころの道しるべ(116)「好き」と「愛する」

「好き」と「愛する」 「好き」というのは、相手が自分にとって好ましい限り、その人と一緒にいるということ。「愛する」というのは、相手が好ましさをすべて失ったとしても、その人がその人である限り寄り添い続けるということです。 『こころの深呼吸~気…

バイブル・エッセイ(1027)ゆるしの頂点

ゆるしの頂点 さて、ユダが晩餐の広間から出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しか…

こころの道しるべ(115)いま出来ること

いまできること 「これからどうなるんだろう」と心配ばかりしていれば、大切な今を無駄にしてしまいます。そんな時間があれば、「自分は、今できること、今すべきことをきちんとしているだろうか」と考えましょう。未来は、今の延長線上にしかないのです。 …

バイブル・エッセイ(1026)声を聞き分ける

声を聞き分ける そのとき、イエスは言われた。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわ…

こころの道しるべ(114)すべてを変える力

すべてを変える力 祈っても何も変わらないと言いますが、たった一つだけ変わるものがあります。それは自分自身です。自分が変わればすべてが変わります。祈りには、すべてを変える力があるのです。 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366』(教文館刊)…

バイブル・エッセイ(1025)共にいてくださる方

共にいてくださる方 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた…

こころの道しるべ(113)言い訳しない

言い訳しない 間違いを指摘されたとき、言い訳して取りつくろえば、相手は「この人は間違った上に言い訳までする人だ」と思います。言い訳せずに事実を認めるなら、「この人は間違うこともあるが信頼できる人だ」と思ってくれるでしょう。 『こころの深呼吸…

バイブル・エッセイ(1024)感じとる力

感じとる力 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子た…

バイブル・エッセイ(1023)墓から出る

墓から出る 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が…

バイブル・エッセイ(1022)生きるために

生きるために 週の初めの日の明け方早く、(婦人たちは、)準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた…

バイブル・エッセイ(1021)身代わりの愛

身代わりの愛 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見…

バイブル・エッセイ(1020)この上ない愛

この上ない愛 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせ…

こころの道しるべ(112)持ってゆけるもの

持ってゆけるもの どんなにたくさんの物を手に入れても、入院するとき病院に持ってゆけるのは、せいぜいキャリーバッグ一つ分の荷物だけ。天国には、それさえ持ってゆくことができません。天国に持ってゆくことができるのは、心を満たした愛だけです。 『こ…

バイブル・エッセイ(1019)十字架につける

十字架につける 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこ…

こころの道しるべ(111)自立する

自立する 一人で生きられる人はいません。「自立する」とは、誰かのお世話にならなければ生きられないことに気づき、感謝できるようになること。誰かに支えられながら、他の誰かを支えられるようになることです。 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366…

バイブル・エッセイ(1018)愛の大河

愛の大河 そのとき、イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中…