講座「マザー・テレサに学ぶキリスト教」第11回〜霊的な闇3・補足
「マザーがイエスの存在を感じられず、『霊的な闇』の中にあったとすれば、そのマザーを通してわたしたちがあふれるほどの愛を感じ取ったのはなぜだろう?」
心の中にずっとあったこの質問を、昨年、カルカッタで1ヶ月ほど滞在しているあいだにマザーの後継者、Sr.ニルマラにぶつけてみました。すると返ってきたのは、「あなたが言うように、マザーの中にイエスがおられたことは間違いがありません。ただ、何らかの内面的な理由でマザーはそのことに気づかなかったのです」という答えでした。
「何らかの内面的な理由」、それは一体何なのでしょう。昨日、三ノ宮の講座でこの話をしたとき、一人の参加者から思いがけない示唆を与えられました。「それまでマザーを取り巻いていた『イエスの渇き』が、マザーの中に入ったからではないのか」というのです。確かに、そう言われてみればそうかもしれません。その示唆をてがかりに考えたことを、前回の講義の補足として付け足しておきます。むしろ、「まとめ」と言ってもいいかもしれません。
★この講座の講義録は、こちらからPDFでダウンロードできます。⇒ 金曜講座・第11回「霊的な闇」3〜光り輝く闇・補足.pdf
★11月17日(土)に大阪府、カトリック豊中教会でマザーの「霊的な闇」についてお話しします。詳細はこちらをご覧ください。⇒ マザー・テレサ写真展in豊中.jpg
★この講座は毎週金曜日、19時から三ノ宮の女子パウロ会書店で開講されています。詳細はこちらから。⇒ キリスト教入門講座・秋学期チラシ.PDF