バイブル・エッセイ(160)受け取るよりも大切なこと


受け取るよりも大切なこと
 マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」(ルカ1:47-56)

 マリアの生涯はすべてのキリスト信者の模範となるものですが、今日読まれた「マリアの讃歌」はとりわけ大切なことをわたしたちに教えてくれるように思います。それは、感謝の心です。
 イエスを胎に宿したマリアは、この恵みを当然のことと考えず、エリザベトと共に心からの感謝を捧げました。この感謝の祈りによって、マリアが受けた恵みは完全なものになったのではないかとわたしは思います。神が与えて下さる恵みは、人間が感謝して受け取ることで完全なものになるのです。
 もし、受け取るだけで感謝がなければどんなことになるでしょうか。二つのことが言えると思います。まず、感謝がないならば、わたしたちの心は決して満たされることがありません。感謝を知らない心は、まるで底のないコップのようなものです。神がどれほど豊かに恵みを注いでくださったとしても、感謝によって受け止めない限り、その恵みが心を満たすことはないのです。
 さらに、感謝を知らない心には傲慢が生まれます。神が与えてくださる恵みを当然のこととして受け止める人は、しだいに自分が恵みを要求する権利を持っているかのようにさえ思い込んでいくのです。そのような人は、もし神が思い通りに恵みを与えてくれないと、神に対して腹を立てたり、苦情を言ったりするようにさえなります。こうして、感謝を知らない人は、神からたくさんの恵みを与えられながら自分で自分を不幸にしていくのです。感謝を知らないがゆえに、与えられれば与えられるほど不満をつのらせ、不幸になっていくというのはとても残念なことです。
 わたしたちは、神から受けた恵みを感謝しているでしょうか。神が与えてくださるたくさんの恵み、健康であること、食べられること、服や家があること、家族や友達のことなど、神に十分に感謝しているでしょうか。たくさんのものを与えられながら、さらなる恵みを求めて神に苦情を言ったりしていないでしょうか。マリアに倣って、謙虚な心で神が与えてくださる全ての恵みに感謝したいものです。
※写真の解説…ナトニン村にて。