2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

バイブル・エッセイ(191)「わたしを何者だというのか」

「わたしを何者だというのか」 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに…

フォト・ライブラリー(147)初夏の京都、大原散策4

2011年6月23日(木)初夏の京都、大原散策4 三千院の参道の途中、お土産物屋さんの近くから脇道に入っていくと、のどかな棚田の風景が現れます。大原の里を広く見渡す、すばらしい眺めです。 大原の里を横切り、寂光院までやってきました。平日の午後は人影も…

フォト・ライブラリー(146)初夏の京都、大原散策3

2011年6月23日(木)初夏の京都、大原散策3 お昼過ぎ頃に雲が消え、夏の太陽が降り注ぎ始めました。日差しを浴びて輝くアジサイたちです。 ヤマボウシの花も満開でした。 三千院を出て「音無の滝」へと向かいます。途中、来迎院というお寺の前を通りました。趣…

フォト・ライブラリー(145)初夏の京都、大原散策2

2011年6月23日(木)初夏の京都、大原散策2 色づきかけのアジサイも、とてもきれいです。 三千院の境内を流れる小川です。境内にいながら、深山幽谷の趣を感じられます。 これは、めずらしい京鹿子という花です。下野草の一種だそうです。 三千院の名物「わら…

フォト・ライブラリー(144)初夏の京都、大原散策1

2011年6月23日(木)初夏の京都、大原散策1 関西のアジサイ名所は今年、どこも天候不順の影響で例年より1週間ほど開花が遅れたようですが、いよいよシーズン到来です。 大原、三千院の庭園です。どういうわけか近頃、日本庭園に魅力を感じます。お薄をいただき…

フォト・レポート(79)SmokeyMountain2011〜旧スモーキー・マウンテン②

山頂付近から、マニラの高層ビル群を見渡すことができます。この「農園」は、メトロ・マニラの中心部からそれほど遠くないのです。手前から上がっている煙は、ゴミの自然発火ではなく、炭焼きによるものです。 何か所かで、このように山を掘り起こして、かつ…

フォト・レポート(78)SmokeyMountain2011〜旧スモーキー・マウンテン①

旧スモーキー・マウンテン 皆さん、ここがどこだか分かるでしょうか?一見するとフィリピンの田舎町ののどかな風景に見えますが、なんとここがかつてのスモーキー・マウンテンなのです。わたしも目を疑いました。 1995年にゴミの新たな投棄が禁止されて以来…

フォト・レポート(77)SmokeyMountain2011〜昼下がりのスラム街

昼下がりのスラム街 強い日差しが照りつける、昼下がりのスラム街です。 スラム街の路地裏にも、強い日差しが射しこんでいました。 水道のないスラム街では、ポリタンクに入れて売られている水が必需品です。 路地裏の商店で、お母さんたちが買い物をしてい…

忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告5

4.ガディタノ家での生活 今回、わたしはダンプサイト地域の中心部に住む家族にホームステイした。この地区に深く入り込んで子どもたちの支援をしているNGO、 “Tulay ng Kabataan”(略称TNK、「子どもたちへの架け橋」の意味)が紹介してくれた家族だ。家族の苗…

バイブル・エッセイ(190)三位一体の交わり

三位一体の交わり 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁…

フォト・レポート(76)SmokeyMountain2011〜炭焼き場

炭焼き場 炭焼き広場で、顔を真っ黒にしながら遊んでいる子どもたちです。 青年が、炭の材料になる材木をリヤカーに積みこんでいました。たくましい体つきですね。 炭焼き広場で遊ぶ子どもたちです。材木の山が、ちょうどいいおもちゃになっているようでした…

忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告4

(2)炭焼き地域(ウリガン) NGOや教会が軒を連ねる道をさらに進み、突き当りを右に曲がるとしだいに辺りが煙に包まれていく。その道の突き当りの広場に、数十の炭焼き小屋が軒を連ねる炭焼き場があるからだ。 この広場から海岸線まで広がる住宅地帯は、炭を意…

バイブル・エッセイ(189)右手と左手

右手と左手 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の…

フォト・レポート(75)SmokeyMountain2011〜カワワ・ビーチ

カワワ・ビーチ タン・バカン地区の海岸沿いに、カワワ・ビーチ(タガログ語で「哀れなビーチ」の意味)と呼ばれる場所があります。ビーチというにはあまりに汚い海ですが、子どもたちにとっては絶好の遊び場のようでした。 生活排水やトイレの汚物が海の上に…

フォト・レポート(74)SmokeyMountain2011〜夕暮れ時のタン・バカン

夕暮れ時のタン・バカン 夕暮れ時のゴミ捨て場にて、家路を急ぐ人たちのシルエットです。どんな晩御飯が待っているのでしょう。 夕暮れ空に、うろこ雲が浮かんでいました。本当に美しい世界です。 家路についた子どもたちのシルエットも見えました。きっと兄…

忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告3

3.スラムの生活 わたしが2週間滞在したタン・バカン地区は、大きく言って、ダンプサイトと呼ばれるゴミ捨て場地域、ウリガンと呼ばれる炭焼き地域、ゴミ運搬のための巨大な平底船にちなんでバージと呼ばれるゴミ搬出地域の3つの地域から成り立っている。全体…

バイブル・エッセイ(188)聖霊の炎

聖霊の炎 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、…

バイブル・エッセイ(187)召命を考える

召命を考える 「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅に…

バイブル・エッセイ(186)愛の証し

愛の証し 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼い…

フォト・レポート(73)SmokeyMountain2011〜働く子どもたち2

広場の片隅でたき火の番をしていた女の子です。燃やしているのはビニールで被覆された銅線。銅線だけを取り出すにはビニールごと燃やすのが一番簡単なので燃やしているとのこと。風上に座っているとはいえ、健康への害が心配です。 弟の世話をしながらゴミ拾…

フォト・レポート(72)SomkeyMonutain2011〜働く子どもたち1

働く子どもたち 夕暮れの光の中、お母さんのお手伝いをする子どもの姿です。お母さんの疲れた表情が心に残りました。 スラム街の路地裏でよく見られる風景の一つが洗濯です。水道がないのでタンクで買ってきて、洗濯機がないので洗濯板で汚れ物を洗います。 …

忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告2

2.この実習を選んだ理由 その後、シスターたちに連れられて3度ほどこのスラム街を訪れた。シスターたちはこのスラム街の隅々にまで入り込んで、病者の家庭訪問や子どもたちのための要理教育を行っているのだ。あまりの治安の悪さに警察でさえ入り込めないと…

バイブル・エッセイ(185)主の昇天

主の昇天 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞…

フォト・レポート(71)SmokeyMountain2011〜ゴミ捨て場

ゴミ捨て場 ゴミ捨て場に向かう子どもたちの後ろ姿です。手に持っている道具は、ゴミを拾い上げるのに使います。 ゴミ捨て場の様子です。マニラ市内からトラックで運ばれてきたゴミが、ここで一度トラックから降ろされます。 ゴミが降ろされるのを待って、人…

フォト・レポート(70)SmokeyMountain2011〜路地裏の生活

Smokey Mountain 2011 「忘れられたスラム街」スモーキー・マウンテンに滞在していた間に撮影した写真を、何回かに渡ってご紹介してきます。 ゴミの山の上から見た、スラム街の様子です。かつてほど巨大なゴミの山はありませんが、何か所かにゴミが山積みさ…

忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告1

忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告 昨年9月からマニラで行われたイエズス会第三修練の一環として、巨大なゴミ捨て場に隣接するスラム街、スモーキー・マウンテンの家庭に2週間ホームステイする機会を与えられた。フィリピン社会の最底辺…

バイブル・エッセイ(184)真理を悟る

真理を悟る 「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これか…