バイブル・エッセイ(224)主と共に喜ぶ


主と共に喜ぶ
「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。』」(マタイ25:14-29)
 これは「天の国」のたとえ話ですから、旅に出た主人は神、僕はわたしたちのことでしょう。では、わたしたちに預けられた神の財産、タラントンとは一体何でしょう。
 わたしたち一人ひとりに神から与えられた特別な才能と考えることもできるでしょう。「あの人はハンサムで、背が高くて、頭がよくて、金持ちで、語学に堪能だ。だから5タラントンだな。それに比べてわたしは…」といった具合です。ですが、そのように考えると「持っていない人は持っているものまで取り上げられる」という結末はあまりにも理不尽に思えます。
 神の財産を、聖霊の恵みと考えてみてはどうでしょう。主人は僕に「それぞれの力に応じて」財産を残してましたが、財産が聖霊の恵みだとすれば、「力」とは自分自身を乗り越え、神に心を開いて聖霊を受け止める力、すなわち信仰のことだと考えられます。神はわたしたちの信仰に応じて、聖霊の恵みを与えて下さるのです。神を「厳しい方」と思い、信頼できなかった僕がわずかな財産しか託されなかったのは、きっとそのためでしょう。
 では、慈しみや喜び、感謝、生きる力といった聖霊の恵みは、どうしたら増やすことができるのでしょう。それは、人と分かち合うことによってだと思います。神から受けた恵みのすばらしさを人々に語り、その喜びが相手にも確かに伝わったと感じるとき、わたしたちの中で聖霊の恵みは2倍に増えます。喜びのうちに誰かに奉仕し、その人がにっこり微笑んでくれたとき、わたしたちの中で聖霊の恵みは2倍に増えます。これは確かなことです。そのようにして、与えられた喜びを何倍にも増やして神にお返しすること、それこそわたしたちの使命でしょう。
 やがて、主人がわたしちのもとに戻り、預けた財産を清算するときがやってきます。そのとき、わたしたちだけでなく、わたしたちの家族や友人にまで何倍にも広がった喜びの恵みを神に差し出したいものです。神は必ずわたしたちに「よくやった、今度は『天の国』で一緒に喜んでくれ」と言ってくださるに違いありません。
※写真の解説…六甲山上の紅葉。