バイブル・エッセイ(926)なぜゆるすのか

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なぜゆるすのか

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタイ18:21-35)

「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」という弟子の問いに、イエスは「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と答えました。自分自身のことを棚に上げて、他人を厳しく裁いてはならない。自分自身がゆるされていることを思い出し、何度でもゆるしなさいということです。

 聖書ではたびたび、ゆるしが説かれます。ですが、なぜわたしたちは相手をゆるさなければならないのでしょう。「相手が悪いのに、なぜわたしがゆるさなければならないんだ。なぜわたしだけ損をしなければならないんだ」と思う人がいるのも当然だと思います。

 聖書がゆるしを勧める理由は、3つあるように思います。一つ目の理由は、このたとえ話の家来のように、わたしたち自身も神さまから、周りの人たちからゆるされて生きているということです。他人の落ち度を批判し、裁くとき、わたしたちはほとんどの場合、自分自身にも落ち度がたくさんあることを棚に上げています。誰かを裁きたくなったときは、「でも、自分自身はどうだろうか」と考えてみたらよいでしょう。たとえば、相手が「頑固でしょうがない」と思ったときは、「自分自身も、これまでに意地を張って周りに迷惑をかけたことはなかっただろうか」と考えてみましょう。わたしたちにも、同じようなことが必ずあったはずです。そのとき、もし周りの人たちがわたしたちを厳しく裁いていたなら、わたしたちは決してここまで来られなかったに違いありません。わたしたちがこうして今、みんなと一緒に生きられるのは、周りの人たちがわたしたちをゆるしてくれたからなのです。わたしたちには、自分のことを棚に上げて人を裁く資格がないと言ってもいいでしょう。

 二つ目の理由は、このたとえ話の最後に出てくるように、ゆるさないなら牢に閉じ込められてしまうということです。牢といっても鉄格子のある刑務所の牢ではなく、怒りや憎しみによって心を閉ざすとき、わたしたち自身の中に生まれる心の牢獄です。怒りや憎しみの炎が燃え上がる牢の中で、わたしたちは幸せに生きられるでしょうか。怒りや憎しみを捨て、心を開いて出て来ること。相手をゆるすこと以外に、わたしたちが牢獄から出る方法はありません。ゆるさない限り、わたしたちは決して幸せに生きられないのです。

 三つ目の理由は、互いを裁き、喧嘩を続けたとしても、やがて両方とも死んでしまうということです。シラ書が記している通り、わたしたちの前には「滅びゆく定めと死」が確実に待ち受けているのです。短期的には、勝負がついたように見えることもあるでしょう。たとえば、相手の方が先に死んだ場合、「ざまあみろ」と思って勝ち誇ることができるかもしれません。ですが、いま勝ち誇っている人も、やがては死ぬのです。人生の大切な時間を、そんな無意味な競争のために費やすのは本当にばかばかしいことだとわたしは思います。互いにゆるし合い、助け合いながら生きた方が、限りある時間をより有効に使えるに違いありません。

 聖書がわたしたちにゆるしを説くのは、結局のところ、ゆるし合うことが人間にとって最も得だからです。ゆるし合うことでのみ、わたしたちは家族や友人たちと一緒に、幸せな毎日を過ごすことができるのです。「自分からゆるすなんて損だ」というような狭い考えを捨て、幸せへと続くゆるしの道を選ぶことができるよう、心を合わせて祈りましょう。

 

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