フォト・ライブラリー(601)カルカッタ・ダージリン巡礼④カーリー寺院と「死を待つ人の家」

カルカッタ・ダージリン巡礼④カーリー寺院と「死を待つ人の家」 カルカッタ・ダージリン巡礼の写真報告も、今回が最終回。まずは、旅の食事をご紹介します。インドと言えば、やはりカレー。旅の間、カレーを食べる機会が多かったです。これはチキンカレー。…

聖母の保護を願う祈り

聖母の保護を願う祈り 2020年3月11日、新型コロナウィルスの感染が拡大してゆく中、フランシスコ教皇様が聖母マリアに保護を願う祈りを捧げられました。私たちも、心を合わせて祈りたいと思います。聖母マリアのとりなしによって、すべての人の命が守られま…

バイブル・エッセイ(897)喜びと力の泉

喜びと力の泉 (そのとき、イエスは、)ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女…

フォト・ライブラリー(600)カルカッタ・ダージリン巡礼③カルカッタからダージリンへ

フォト・ライブラリー(600)カルカッタ・ダージリン巡礼③カルカッタからダージリンへ 夕暮れどきのハウラー橋。聖なる大河ガンジスは、カルカッタ周辺ではフーグリー川と呼ばれています。 川のほとりにある、ガートと呼ばれる沐浴場。インドらしい風景です。 …

フォト・ライブラリー(599)カルカッタ・ダージリン巡礼2020②カルカッタからチッタガールへ

フォト・ライブラリー(599)カルカッタ・ダージリン巡礼2020②カルカッタからチッタガールへ ビクトリア女王の治世を記念して20世紀初頭に建てられた、ビクトリア・メモリアル。イギリス領インド帝国の首都だったカルカッタの面影を、現代に伝える建物です。 …

フォト・ライブラリー(598)カルカッタ・ダージリン巡礼2020①マザー・ハウスとロレット修道会

カルカッタ・ダージリン巡礼2020①マザー・ハウスとロレット修道会 人力車やサイクルリキシャー、オートリキシャー、タクシーなどが行き交うカルカッタの街。9年ぶりに、カルカッタに行ってきました。 大通りを渡るサイクルリキシャー。 さまざまな容器を集め…

バイブル・エッセイ(896)太陽のように輝く

太陽のように輝く イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが…

【霊的聖体拝領の勧め】

霊的聖体拝領の勧め ヨハネ・パウロ2世は回勅『教会にいのちを与える聖体』で「ミサにあずかっても聖体拝領しないときは、霊的に拝領することができます」というイエスの聖テレジアの言葉を引用し、霊的聖体拝領を勧めています(34)。ミサの中止などによって…

バイブル・エッセイ(895)困難に打ち勝つ力

困難に打ち勝つ力 イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」…

バイブル・エッセイ(894)愛の誓い

愛の誓い 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である…

【新刊のご案内】あなたはわたしの愛する子

『あなたはわたしの愛する子~心にひびく聖書の言葉』 このブログに掲載中の「バイブル・エッセイ」から、選りすぐられた40篇を収録。わかりやすい言葉で、神さまの愛をまっすぐ心に届けます。どうぞお楽しみに。教文館刊 3月9日発売予定 定価 1100円(税込み…

バイブル・エッセイ(893)信仰の光

信仰の光 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができ…

バイブル・エッセイ(892)苦しみに寄り添う

苦しみに寄り添う モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は(イエス)主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言わ…

バイブル・エッセイ(892)神の小羊

神の小羊 ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わた…

バイブル・エッセイ(891)同じ人間として

同じ人間として そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしの…

バイブル・エッセイ(890)起きよ、光を放て

起きよ、光を放て 起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出…

バイブル・エッセイ(889)濃密な時間

濃密な時間 (そのとき、羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、(彼らは、)この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思…

バイブル・エッセイ(888)家庭の平和

家庭の平和 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同…

バイブル・エッセイ(887)命は光であった

命は光であった 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇…

バイブル・エッセイ(886)空の飼い葉桶

空の飼い葉桶 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属…

バイブル・エッセイ(885)愛の受肉

愛の受肉 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに…

バイブル・エッセイ(884)喜びの訪れ

喜びの訪れ ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていること…

バイブル・エッセイ(883)心の扉を開く

心の扉を開く そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」…

バイブル・エッセイ(882)目を開く

目を開く そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何…

バイブル・エッセイ(881)楽園に入る

楽園に入る 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの…

バイブル・エッセイ(881)命をかち取る

命をかち取る ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、…

バイブル・エッセイ(880)愛の完成

愛の完成 「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからで…

バイブル・エッセイ(879)救いの地平

救いの地平 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、…

バイブル・エッセイ(878)本当によい行い

本当によい行い 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのよう…

バイブル・エッセイ(877)熱心に祈る

熱心に祈る イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて…