やぎぃの日記(142)『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著)


『置かれた場所で咲きなさい』
 先日ふらっと本屋に立ち寄ったら、棚の上にSr.渡辺和子の最新刊がうず高く積み上げてあったので、迷わずに買ってただちに読み始めた。シスターには一昨年、マザー・テレサ生誕百年のとき講演会に来てもらったり、FEBCのラジオ番組でご一緒したり、拙著『マザー・テレサは生きている』(教友社刊)に序文を書いていただいたりしてずいぶん御恩があるし、お人柄や優しいお声にも以前から惹かれている。これまでにシスターが出された本は、手に入る限りほとんど読んだと言っていいだろう。
 いつもそうだが、今回の本でも、まず何よりもシスターの波乱万丈の人生に引き込まれてしまった。陸軍教育総監渡辺錠太郎の娘として生まれ、9歳のときに目の前で父が2.26事件の反乱将校に射殺されるのを目撃。後に修道女となり、36歳でノートルダム清心女子大学の学長に就任。その後、数々の困難を乗り越えながら、日本のカトリック教育の最前線に立ち続けてこられたというその略歴だけでわたしなどは感動し、書いてある言葉の一言一言に重みを感じてしまう。
 特に印象に残った言葉をいくつか書き留めておきたい。言葉の下に記したのは、わたしの感想。
「どうしても咲けないときもあります。そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」
 苦しみは、わたしたちの心の土を耕す鋤のようなものなのかもしれない。すべてがうまくいっているときには傲慢で固い心が、苦しみによって打ち砕かれ、柔らかくなっていく。柔らかくなった土にしっかりと根を下ろし、根を張っていくなら、わたしたちはいつか揺るぎない神の愛の大地に根差した草になることだろう。その花は、根無し草だったころの花よりもはるかに大きく美しいに違いないと思う。
「不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。私たちは時々、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。これらは大気を汚染し、環境を汚し、人の心をむしばむのです。」
 マザー・テレサは「喜びは伝染する」と言っていたが、Sr.渡辺の言う通り不機嫌も周りの人に伝播していく。同じくまわりにまき散らすならば、迷惑な不機嫌ではなく、感謝される喜びをまきちらしたいものだ。
「時間の使い方は、命の使い方です。」
 時間の無駄づかいは、命の無駄づかい。神から与えられた命の時間は、神の御旨のままに使われたときに初めて意味を持つのだろう。
「信頼は98%。あとの2%は相手が間違ったときのゆるしのためにとっておく。」
 確かに「あなたを100%信頼しています」と言われるのは重い。この世界に100%よい人など、きっといないだろう。100%の信頼は、神様のためだけにとっておきたい。
「今日より若くなる日はありません。だから今日という日を、私の一番若い日として輝いて生きてゆきましょう。」
 Sr.渡辺は確か今年85歳のはずだが、まるで歳をとるのをわすれてしまっているかのように、いつまでもお元気なままだ。1日、1日を一番若い日として、新しい命で生きておられるからに違いない。これからのご活躍が楽しみだ。

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

※写真の解説…六甲山、高山植物園にて。