フォト・ライブラリー(359)春の津和野巡礼〜前半

春の津和野巡礼〜前半

カトリック六甲教会中高生会の練成会で、「浦上四番くずれ」と呼ばれる大迫害の殉教地、津和野を訪れました。公立中学校の終業式が終わるのを待って午後に出発したので、バスに5時間半ほど揺られて津和野に到着したときにはもう夜。ライトアップされた教会が私たちを出迎えてくれました。

津和野の桜はこのとき、まさに満開。ライトアップされた桜が、夜の闇の中に幻想的に浮かび上がっていました。

神戸を出発するときは曇りで、ときどき雨もパラパラ降っていました。ですが、津和野では雲の合間からお月様が顔を見せていました。明日はきっといい天気になるでしょう。

翌朝目を覚ますと、外は雲一つない上天気。教会に隣接する幼稚園の庭でも、桜が満開でした。津和野に古くから住んでいる人たちの多くが、この幼稚園の卒園生だそうです。

カトリック津和野教会は、殿町と呼ばれる津和野の中心地にあります。かつては殿様に仕える武士たちの家が立ち並んでいたという辺り。今も掘割と白壁が美しい街並みが保存されています。

津和野の中心を流れる錦川。たくさんの鯉が優雅に泳いでいるのが、橋の上からよく見えます。

津和野のシンボルはシラサギ。毎年の大祭のとき弥栄神社に奉納される、シラサギがはばたく姿を真似た「鷺舞い」は、国の重要無形文化財にも指定されています。

到着した翌日の午前、中高生たちは町のはずれにある乙女峠に行き、静かな黙想のときを過ごしました。乙女峠は、かつて長崎の浦上から配流されてきたキリシタンたち36名が、厳しい拷問を受けた末に殉教した場所です。

 この殉教が起こったのは1868年から72年。明治に入ってからのことです。フランス人宣教師たちが長崎の大浦にフランス人居留民のために建てた教会に、隠れキリシタンたちが現れ、信仰を告白したことをきっかけとして始まった明治政府によるキリシタン迫害「浦上四番崩れ」。数千人のキリシタンたちが全国に配流され、厳しい拷問などによって改宗を迫られました。津和野に送られてきたのは、高木仙衛門をリーダーとする153名のキリシタンたち。そのうち、36名が厳しい拷問によって命を落としました。
 この写真は、殉教者の1人、安太郎に聖母マリアが現れた場面を再現した像。縦横3尺しかない牢に閉じ込められ、食事も制限されて極限状態に置かれた安太郎に、毎日夜12時を過ぎると青い服を着た女性が現れ、信仰を励ましたといいます。この女性は、きっと聖母マリアに違いないと信じられいます。

 お菓子を見せられて誘惑されながら「天国のお菓子はもっとおいしい」と言って棄教を断った5歳の女の子の話や、厳しい拷問の中で、親雀が小雀の世話をしている様子を見て父なる神の慈しみを思い起こした若者の話など、一つ一つのエピソードを聞くたびごとに、15分の沈黙の時間をとってそれぞれに信仰の大切さを思いめぐらしました。一つひとつのエピソードがこの場で実際に起こったことだけに、子どもたちの心にもずっしりと響いたようです。

半日の黙想を終えて峠を下るとき、ふと空を見上げると、太陽の周りに大きな暈雲がかかっていました。これだけ見事な暈雲を見たのは、生まれて初めてでした。天からの、一つのしるしかもしれません。

峠の途中に植えられたツワブキ。生えてきたばかりの葉は、つやつやしてとてもきれいです。津和野の名は、「ツワブキが咲く野」に由来すると言われています。

峠の麓にあるお寺で、枝垂桜の古木が満開を迎えていました。殉教者たちも、この桜を遠くから眺める機会があったでしょうか。

午後は自転車を借りて津和野の散策。街を見渡す山の中腹にある太鼓谷稲荷に上ったり、錦川沿いにサイクリングしたりして、津和野の春を満喫しました。

太鼓谷稲荷から眺めた津和野の町。錦川に沿って細長く広がっているのがよくわかります。

錦川沿いには、まるで日本の原風景のようなほのぼのとした景色が広がっています。この町出身の画家、安野光雅さんの絵のような、心やすらぐ景色です。

夕方、カトリック津和野教会の主任司祭、ドメニコ・ヴィタリ神父が、すべてを神に捧げた殉教者たちの信仰について熱く語ってくださいました。殉教者たちの生きざまは、福音宣教のためにすべてを捨ててイタリアから日本にやって来たヴィタリ神父様ご自身の生きざまとも重なります。