フォト・ライブラリー(360)春の津和野巡礼〜後半

春の津和野巡礼〜後半

津和野に到着して3日目、中高生たちと一緒に、地福から津和野まで17キロの道のりを歩きました。この道を通って津和野に配流された殉教者たちの思いを噛みしめながらの巡礼です。昨日までの晴天とはうって変って、この日は朝から冷たい雨。完全沈黙を守りながら、もくもくと道を歩いてゆきます。

巡礼路のほとんどは、このような山間の畑の中を通っていく道。山際に点在する集落が印象的です。建物は変わったでしょうが、風景自体は殉教者たちが見たものとあまり変わっていないでしょう。

道端のあちこちに生えた蕗の薹。柔らかな緑が、足の痛みをしばし忘れさせてくれます。

参加した中学生の1人は、歩きながら「ぼくたちはゴールすれば休めるからいいけれど、殉教者たちは到着してからひどい目に会わされることがわかっていたはず。どんな思いでこの道を歩いたのだろう」と考えたそうです。殉教者たちの歩みを支えたのは、ひとえに信仰の力だったと言っていいでしょう。

殉教の歴史に直面するとき、現代人はつい「信仰なんか捨てても、生きた方がよかったのでは」と考えてしまいがちです。ですが、それは彼らにとって信仰がどれほど大切だったか、わたしたち人間にとって信仰がどれほど大切かを分かっていないからこそ言えることかもしれません。

信仰を捨てれば、肉体は生きていても魂は死んでしまう。魂が死んだまま苦しみの中を生き続けるくらいなら、肉体に死んで魂で生き続けた方がよい。殉教者たちは、きっとそう考えたに違いありません。殉教者たちにとって、信仰は肉体の命以上に大切なものだったのです。殉教者たちは、死ぬことによって、本当に生きる道を選んだと言っていいでしょう。

津和野の町に入るころ、ようやく雨が止みました。美しい桜がわたしたちを歓迎しているようでした。間もなく、最初の殉教者であるイエス・キリストの復活を記念する復活祭がやってきます。

最終日には、再び太陽が戻ってきました。殉教者たちが信仰を守り抜いたお蔭で、明治政府は信教の自由の大切にさに気づき、数百年続いたキリシタン禁教令を解きました。今わたしたちが自分の信じたい宗教を自由に信じられるのは、殉教者たちのお蔭。この町の真ん中にカトリック教会が建てられたのも、殉教者たちのお蔭なのです。

生まれながらに信教の自由を享受し、当たり前のように教会に通って信仰を告白している私たちは、ともすると信教の自由のありがたさを忘れてしまいがち。この自由は、権力者たちが人の心さえも支配できた時代に、殉教者たちが命がけで信仰を守った結果勝ち取られたものだということを忘れないようにしたいと思います。

錦川の河原で、シロバナタンポポが綿毛を作っていました。この綿毛があちこちに飛び、落ちた場所でまた花を咲かせるのです。宣教師たちによって運ばれた信仰の種も、日本の地で確かに花を咲かせました。

武家屋敷の白壁に、うすいピンクの桜の花びらが生えます。朝の太陽を浴び、光り輝いているように見えました。

町の掘割には、美しい鯉たちが優雅に泳いでいます。この平和な町で、かつて凄惨なキリシタン迫害が行われたということが信じられないくらいです。

津和野教会に住み、教会を管理している西山神父様が、神戸に帰るわたしたちを見送って下さいました。この4日間を通して、自分たちの大切なものを命がけで守った殉教者たちの壮烈な信仰の印象が、中高生たちの心にもしっかりと刻まれたことでしょう。聖週間にふさわしい巡礼の旅でした。