フォト・ライブラリー(514)ユスト高山右近列福式in大阪

ユスト高山右近列福式in大阪

2月7日、大阪城ホールで殉教者、ユスト高山右近列福式が行われました。わたしも、カトリック宇部教会巡礼団総勢26人と一緒に参加。2日間にわたる巡礼の旅を写真でご紹介します。

全国から集まった、およそ1万の人々で埋め尽くされた大阪城ホールローマ教皇代理のアマト枢機卿がミサを司式され、右近病没の地であるマニラのタグレ枢機卿やアジア各国の司教様方、日本の司教団、そして300人あまりの司祭が共同司式ししました。これだけの規模のミサは、日本ではなかなかありません。

大阪近郊の学校や全国の教会からの志願者によって編成された聖歌隊。ミサは基本的にラテン語でしたが、韓国語、ベトナム語、日本語などの聖歌も歌われました。

たくさんの人でごった返す、大阪城ホールの入り口。懐かしい方々とも久しぶりに再会でき、とても楽しいひと時でした。

高山右近のゆるきゃら「うーこんどの」。全国から応募された名前の中から選ばれました。

列福式の後、せっかく大阪まで来たので日本一ののっぽビル、阿倍野ハルカスを観光。高さ300メートルの展望台から、大阪の眺めを堪能しました。

まばゆい光に満たされた街、大阪。右近や秀吉が、いまの大阪を見たらどう思うでしょう。

ちょうど日没の時間帯だったので、大阪湾に沈む壮大な夕陽と夜景の両方を楽しむことができ、参加者の皆さんも大満足でした。

2日目は、カトリック玉造教会で行われたユスト高山右近列福感謝ミサに参加。この日は、長崎教区長の高見大司教様の主司式でした。玉造は、かつて細川ガラシャ婦人の屋敷があった場所で、右近とも関りがあります。

カトリック宇部教会、ユスト高山右近列福式巡礼団。「うーこんどの」と一緒に記念撮影です。この他、宇部から聖歌隊などで参加した人たちが10人ほどいました。

列福感謝ミサ終了後、バスで高槻城へ移動。高槻は、かつて右近親子が領主だった地です。領主・領民の区別のない右近親子の慈善活動は、今日まで人々の間に語り継がれています。

城跡に建てられた右近像。とても凛々しい姿です。これと同じ像を、右近終焉の地、マニラでも見たことがあります。

ドームが印象的な、カトリック高槻教会。教会の隣には右近会館もあり、右近についての様々な資料に触れることができます。

カトリック高槻教会の内部。右近終焉の地、マニラの大聖堂を模して造られたとのことです。

右近について、教会の信徒の方が詳しく説明して下さいました。巡礼団への暖かなもてなしが、すっかり板についているようです。

イエズス会員としては、右近が聖イグナチオの『霊操』から大きな影響を受けたということに特に興味を惹かれます。聖イグナチオは、もともと領主の家に生まれた軍人でしたが、戦争での怪我をきっかけに回心した人物。東洋の武士の心と、西洋の騎士の心に、きっと通じ合うものがあったのでしょう。わたしも右近に倣い、祈りの戦場で、人間を滅ぼそうとする悪魔の軍勢と闘い続けたいと思います。