今日、大阪の玉造教会で「パウロ年」閉年ミサが行われた。カトリック教会全体としての「パウロ年」は先日終わったのだが、大阪大司教区は大司教の臨席のもと行われた今日のミサをもって公式にパウロ年を閉じた。この1年、大阪教区ではパウロにちなんだ行事がいくつも行われたが、今日のミサはそれらの総決算といえる。
今日のミサには一つの趣向があった。ミサの前に、信徒と司祭が協力して寸劇をしたのだ。1カ月ほど前に教区の神父さんに頼まれて、わたしもペトロ役で出演するとこになっていた。だが、「テゼの祈りin神戸」をはじめとして様々な行事や仕事が立て込む中で、劇の準備になかなか時間を割くことができなかった。台本を覚えて自主練習を始めたのは、ほんの2、3日前のことだ。
今日、午前10時過ぎから、全員揃って行う最初で最後の練習が行われた。わたしはほんの端役なのでそれほどセリフもなかったのだが、それにしても緊張した。セリフをしっかり覚えたつもりだったのだが、いざ舞台に立つと頭が真っ白になって忘れてしまう。他の人たちも、みな同じような様子だった。それでも、何回か練習を繰り返すうちに、なんとか形が出来上がってきた。
劇の本番中は、もう無我夢中だったのでよく覚えていない。ただ舞台の袖で聞いていた、「一人の中にでも聖霊の火が燃えていれば、みんなの火も燃え立たせることができるはずです」というパウロのセリフだけが強く印象に残っている。その言葉は、まるでパウロからわたしへのメッセージのように思えた。
これから、大阪教区でも「司祭年」が祝われることになる。司祭としてどれだけ心の中に信仰の炎を燃え立たせることができるか、パウロのように神への愛で自分の全てを燃やし尽くすことができるか、今そのことが問われていると思う。
※写真の解説…パウロ劇の一コマ。撮影・六甲教会教会学校。