バイブル・エッセイ(1009)生命の神秘

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生命の神秘

 そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれたイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(ルカ4:21-30)

 イエスの言葉を聞き、「この人はヨセフの子ではないか」と驚いている人々に向かって、イエスは、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と言いました。故郷の人たちは、その人が誰から生まれたかを知っているので、親によって相手を判断しようとする。しかし、すべての人は神によって造られたのであり、一人ひとりに神から与えられた尊い使命がある。イエスは、そのことを伝えたかったのだと思います。

 人間は親から生まれてくるので、生まれてきた子の命は親が造ったもののように思われがちです。しかし、生命の誕生は、人間の思いをはるかに超えています。妊娠のメカニズムは知っていても、なぜそのような体の仕組みがあるのか、なぜ子どもが生まれてくるのか、答えられる人はいないでしょう。生命の誕生はまさに神秘であり、その神秘の中にはたしかに神がおられます。すべての命は、人間の想像をはるかに超える、神秘の中から生まれてくるものなのです。わたしたち一人ひとりは、神によって造られ、神のもとから生まれてきたのです。

 エレミア書に、「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた」とあります。エレミアは母の胎の中で神によって造られ、預言者としての使命を与えられて生まれてきたのです。同じように、わたしたち一人ひとりにも、誕生のときに神から与えられた尊い使命があります。親の職業や家柄、生まれた場所などと関係なく、わたしたちには、神から与えられた尊い使命があるのです。

 まず、自分自身についてこのことを思い出す必要があるでしょう。「自分は生まれながらに駄目な人間だ」と思っているなら、それはまったくの間違いです。わたしたちは皆、神の愛の中から生まれてきたかけがえのない存在であり、果たすべき尊い使命を持って生まれてきました。もしかすると、その使命がまだ見つからない人もいるかもしれません。しかし、それは単にまだ見つかっていないというだけのこと。自分の命のかけがえのなさ、自分自身の素晴らしさに気づくなら、必ずそのとき、わたしたちは自分に与えられた使命にも気づくでしょう。

 同じことが、わたしたちの出会うすべての人に当てはまります。どんな親から生まれてきたか、どんな状況でどんな場所に生まれたかに関わらず、その人は神の愛の中から生まれてきた神の子であり、神から与えられた尊い使命を持っているのです。「この人はこんな人」と決めつけず、くもりのない目で相手を見るなら、わたしたちは必ずその人の命の尊さに気づき、その人にしかないよさや、その人に与えられた使命に気づくことができるでしょう。

 生命の神秘に気づき、その神秘の中におられる神の存在に気づくとき、わたしたちは自分が誰であるか、相手が誰であるかを知ります。その神秘を感じ取る心、その神秘の中に神を見出す心、その神秘に感謝する心を持てるようにと祈りましょう。

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