2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

マザー・テレサ生誕100年記念写真展News(63)京都、ノートルダム女子大学での写真展

《京都での写真展》 2011年6月17日(金)〜24日(金) 京都ノートルダム女子大学 思文閣美術館に続いて、再び京都で写真展が行われます。京都ノートルダム女子大学構内での開催ですが、この期間はオープンキャンパスで、外部の方も入場可能だそうです。お近くの…

やぎぃの日記(96)「宣教を考える集い」

「宣教を考える集い」 先週の土曜日、六甲教会の近くにある六甲学院生徒研修所で「宣教を考える集い」が行われた。今回は、福音宣教の具体的な方法ではなく、福音宣教の出発点としてのイエス・キリストとの出会いを深めることに焦点を当てた集いだった。指導…

バイブル・エッセイ(183)聖霊を受ける

聖霊を受ける わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を…

フォト・レポート(69)ナボタスの友人たち5

ナボタス漁港付近から見た、夕暮れ時のマニラ湾です。オレンジから青、そして漆黒へと移り変わっていくグラデーションが美しかったです。 夜の漁に出発していく漁師さんたちもいました。一体、どこまで出かけていくのでしょう。 守護聖人のお祝いで賑わうナ…

バイブル・エッセイ(183)命を捨てる

命を捨てる 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがた…

バイブル・エッセイ(182)つながる

つながる わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがた…

フォト・レポート(68)ナボタスの友人たち4

ナボタス滞在中にホームステイさせてもらったバロン家です。築50年以上で、この辺りでは一番古い家だとのことでした。海岸部のスラムまで、歩いて2分ほどの距離です。 バロン家の窓には、ガラスの代わりに貝殻の板がはめられています。ガラスが貴重で手に入…

フォト・レポート(67)ナボタスの友人たち3

ナボタスには、ご近所で集まって信仰の分かち合いをするグループがたくさんあります。その中の一つに参加させてもらいました。話しているおじさんは、昔、漁船の船員として日本に何回も来たことがあるとのことでした。 若者たちは若者たちで集まって、楽しそ…

バイブル・エッセイ(181)場所を準備する

場所を準備する そのときイエスは言われた。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために…

フォト・レポート(66)ナボタスの友人たち2

カメラを向けると、みんな大喜びです。何とか写真を撮ってもらおうと、色々なポーズをする子たちまでいます。 海上のスラム街の路地でも、たくさんの子どもたちが遊んでいました。材木を組んだ足場の上に作られた路地ですが、意外とがっちりしています。 お…

フォト・レポート(65)ナボタスの友人たち1

2011年1月29日〜2月6日 ナボタスの友人たち 2011年1月29日から2月6日まで、フィリピンの首都マニラの沿岸部に広がるスラム街、ナボタスでホーム・ステイしました。その時の様子を写真で紹介していこうと思います。 1980年代、サーマール島などフィリピン南部…

バイブル・エッセイ(180)裁くためではなく

裁くためではなく わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである…

バイブル・エッセイ(179)聞き分ける耳

聞き分ける耳 エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言い…

バイブル・エッセイ(178)命の飢え

命の飢え (そのとき、群衆はイエスに)言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパ…

バイブル・エッセイ(177)羊たちの門

羊たちの門 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入り…

フォト・ライブラリー(143)春爛漫の布引ハープ園4〜チューリップ

陽だまりの花壇に、色とりどりのチューリップが咲き誇っていました。 こちらは赤いチューリップだけの花壇です。 岩の間で、黄色い可憐な花が力強く咲いていました。 最後は、もう一度ネモフィラの花壇です。一つ一つは小さな花ですが、たくさんで一斉に咲け…

《「宣教を考える集い」のお知らせ》

宣教を考える集い「神と向かい合うことから生まれる活動を」 カトリック六甲教会では昨年から年に2回、神の愛をわたしたちの隣人たちにどうしたら伝えられるのかをテーマにして「宣教を考える集い」を行っています。今年度の第1回目は「神と向かい合うことか…

フォト・ライブラリー(142)春爛漫の布引ハーブ園3〜色とりどりの花々

花畑の向こうに、遠く神戸の街、そして大阪湾が見えています。神戸は山と海の間にある街です。 珍しいハンカチの木も咲いていました。華やかなチューリップに目を奪われて、あまり気づく人がいないのが残念です。 黄色いチューリップの花壇です。太陽の光を…

フォト・ライブラリー(141)春爛漫の布引ハーブ園2〜菜の花畑

満開の菜の花畑です。ミツバチたちが、忙しそうに花の間を飛び回っていました。 菜の花とダリアが美しい色の帯を作り出していました。 紫色の花(これ何でしたっけ?)とのコントラストもきれいです。 菜の花畑のカーブです。

フォト・ライブラリー(140)春爛漫の布引ハーブ園1〜布引の滝

2011年5月5日(木) 春爛漫の布引ハーブ園 5月5日、30代最後の1日の午後を利用して、布引ハーブ園まで軽く山歩きをしてきました。山に入るとすぐに、野生の藤の紫色が目に飛び込んできました。 まずは、布引の滝を目指して遊歩道を進んでいきます。 新緑に彩ら…

バイブル・エッセイ(176)誰の声に耳を傾けるか

誰の声に耳を傾けるか イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体…

バイブル・エッセイ(175)神から与えられる力

神から与えられる力 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか…

バイブル・エッセイ(174)永遠の命を生きる

永遠の命を生きる 上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。そ…

バイブル・エッセイ(173)温もりに満ちた光

温もりに満ちた光 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁…

《2011年度キリスト教入門講座のご案内》

2011年度キリスト教入門講座のご案内 復活節の日々、皆さまいかがお過ごしでしょうか。ゴールデンウィークが入って開始が遅くなりましたが、来週からカトリック六甲教会でのキリスト教入門講座を始めますのでご案内させていただきます。今回の講座では、フィ…

バイブル・エッセイ(172)御聖体の味

御聖体の味 ★このエッセイは、5月1日にカトリック六甲教会で行われた初聖体のミサでの説教に基づいています。 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見…