《お知らせ》今回のフォト・エッセイで紹介する写真を含む、カクマ難民キャンプでわたしが撮影した約30枚の写真を、明日から13日までカトリック六甲教会のホールで展示します。お近くの方は、どうぞお立ち寄りください。
今から2年ほど前に、ケニアとスーダンの国境近くにあるカクマ難民キャンプを訪れたことがある。
難民キャンプというところは、奈良や京都と違って、「よし行こう」と思いついたからといってすぐに行けるようなところではない。「難民キャンプ行き快速電車」というようなものは普通ないので、まず荒れ地でも走れるような車を確保する必要がある。車があったとしても、難民キャンプは政治的に微妙な緊張感をはらんだ場所なので、許可証がないと入ることができない。車で難民キャンプにたどりつくまでに、武装盗賊団などに襲われてしまう危険性もある。「じゃあ、どうやって行ったんだ」という話になるが、簡単に言えば上智大学社会正義研究所の調査団について行ったということだ。この研究所は、毎年世界各地に調査団を送っている。イエズス会の神学生ということもあって、わたしはうまくその調査団にまぎれ込むことができた。
まずわたしたちは関空からドバイ経由でナイロビに飛んだ。ナイロビからさらに飛行機でスーダンとの国境の街ロキチョキオに飛び、そこから陸路をカクマ難民キャンプに向かった。武装盗賊団が出没するとのことで、途中の道は警察に護衛してもらった。猛烈な暑さの中、低くて棘だらけの灌木だけが散在する荒れた土地に伸びた道をひたすらまっすぐに走って、約2時間ほどで難民キャンプに到着することができた。カクマ難民キャンプと呼ばれるこの難民キャンプは、国連難民高等弁務官事務所によって管理された、約60,000人の難民を収容している巨大なキャンプだ。
難民キャンプでの体験は、わたしの世界観を根底から揺さぶるほど衝撃的なものだった。もっとも心を動かされたのは、人々がこのように過酷な環境の中でも懸命に生きようとしているという事実だった。日中の最高気温は45℃を越え、雨はほとんど降らないという環境の中で、人々は生きている。日本から10,000㎞以上も離れたこの灼熱の大地に、人々は家を建て、畑を作り、家畜を飼いながら生活している。日本の快適な世界の中に閉じこもって、外を見ないようにして生きてきた自分がとても小さく感じられた。狭い枠の中で競争し、勝ち負けを競ったり、ちっぽけな才能や財産、地位などに翻弄されて生きるだけが、生きるということではない。難民キャンプで暮らす人々と触れ合う中で、人間が生きるということはもっと崇高で、それ自体として意味があることなのだとわたしは感じた。
冒頭の写真は、そのような出会いの中でも一番印象深かった出会いの場面で撮った写真だ。この子どもたちは、戦争によるインフラの破壊や旱魃によって荒廃した南スーダンから家族と一緒に逃げ出し、数日前に難民キャンプにたどりついたばかりの子どもたちだ。写真を撮っているわたしのそばに駆け寄ってきて、得意そうに弟を抱え上げてわたしに見せてくれた。言葉は通じなかったが、「この子を見て、こんなにきれいなのよ」と言っているようにわたしには感じられた。このような場所でも、生命は燦然と輝いている。2人の子どもの瞳を見つめながら、わたしはシャッターを切った。
日本に戻ってくると、どうしても快適な生活に流されて、あの子どもたちの瞳を忘れてしまいそうになる。自分の生きている世界だけに閉じこもって、広い世界を見ることができなくなる。この子どもたちの写真を見るたびに、わたしはあの場所で学んだことを思い出すようにしている。彼らのために祈ることは、わたしにとって自分を自分の世界に閉じ込めて窒息させないための営みでもある。
・
・
※写真の解説…いずれも、カクマ難民キャンプの子どもたち。