2008-01-01から1年間の記事一覧

フォト・エッセイ(51) 六甲山から有馬へ③

《お知らせ》11月8日から9日まで、青年会の練成会に参加するため六甲山YMCAに行ってきます。 有馬へ向かう道を歩きながら、朝のミサで読まれたパウロの言葉を思い出していた。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切…

フォト・エッセイ(49) 六甲山から有馬へ①

昨日は、六甲山から有馬に抜ける道を初めて歩いた。前から一度歩いてみたかったコースだったが、なかなか機会がなかった。水曜日の晩、紅葉情報で有馬温泉の紅葉が見ごろを迎えていることを知り「よし、行くなら今だ」ということになった。 まず六甲ケーブル…

フォト・エッセイ(50) 六甲山から有馬へ②

紅葉に限らず、わたしは風景からの呼びかけを感じたときにシャッターを押すようにしている。カメラを持って山道や公園を歩いていると、ときどき眼がある一点で釘づけになることがある。「なんだろう、あれは」と思ってその風景から眼が離せなくなるのだ。見…

マザー・テレサの言葉(12) いのちのパン

イエスは、わたしたちにいのちを与えるために、ご自分の体でわたしたちを養うのです。 だから、わたしがあなたたちに勧めたいことは、 生活の中で、少なくとも週に一度は御聖体の前に行き、 そこでイエスだけと共にとどまるようにしなさいということです。 …

入門講座(17) エウカリスチアの秘跡①

《今日の福音》ルカ6:12-16 イエスが十二使徒を選ぶ場面です。この場面は、まずイエスが山で祈りのときを過ごしたという記述から始まっています。何か大きな決定をする前に一人で祈りのときを過ごすというのは、イエスの行動の一つの特徴ということができま…

バイブル・エッセイ(28) 神の御心

このエッセイは、11月2日「死者の日」の海星病院の御ミサでの説教に基づいています。 父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためで…

フォト・エッセイ(48) 朝の登山

先週の木曜日、青谷にある女子修道会で御ミサを立てた後、青谷道から摩耶山に登った。お休みの日だったのだが別に何をするという予定もなかったので、とりあえず摩耶山に登ってみようかというようなつもりで登り始めた。山の上の方を見上げると、ところどこ…

フォト・エッセイ(47) 高野山

28日から29日にかけて、和歌山県橋本市の温泉で「大阪大司教区若手司祭の会」があった。大阪教区で働く若い司祭の交流と親睦を深めるための集まりで、20人余りの司祭が参加した。1日目の晩は懇親会があり、夜遅くまでお酒を飲みながらいろいろな話をすること…

フォト・エッセイ(46) コスモス②

東京への初ミサ旅行の2日目、空いている時間があったので昭和記念公園にコスモスを見に行ってきた。園内には3か所大きなコスモス畑があり、時期をずらして長い期間コスモスを楽しむことができるようになっている。今回、残念ながら一番広い「コスモスの丘」…

バイブル・エッセイ(27) 大切な掟

ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を…

マザー・テレサの言葉(11) 聖性

《お知らせ》10月28日から29日まで、「大阪大司教区若手司祭の会」に出席するため和歌山県橋本市に行ってきます。 わたしがあなたたちのために祈るのは、 あなたたちが互いへの愛の中で成長するようにということです。 キリストの聖性にならって、キリストと…

入門講座(16) 洗礼と堅信

《今日の福音》ルカ12:35-38 主人の帰りを待つよい僕のように、いつ主人が帰って来てもいいように準備していなさいとイエスは言っています。「主人が帰ってくる」という表現は、世の終わりに審判者である「人の子」イエスが再び来られることの比喩と考えられ…

教会報記事「新司祭として」

聖イグナチオ教会報11月号に短い記事を書きました。叙階式でお世話になった聖イグナチオ教会の皆様、本当にありがとうございました。 「新司祭として」 先日は、トマス神父、アント神父、そしてわたくしの叙階式にご協力いただき、ありがとうございました。…

やぎぃの日記(8) 忘れていたこと

東京滞在中の3日目、足立区にある「神の愛の宣教者会東京修道院」で初ミサを立てさせてもらった。ちょうど炊き出しの日だったので、ボランティアの方々も御ミサに参加してくださった。御ミサが終わった後、わたしも一緒に池袋まで炊き出しに連れていってもら…

やぎぃの日記(7) 老兵

昨日は2箇所で初ミサを立てさせてもらった。 《ロヨラ・ハウス》 ロヨラ・ハウスはとても思い出深い場所だ。神学を勉強していた最後の1年間、週に1度お手伝いをさせてもらっていたからだ。お手伝いといってもわたしは何もできないので、寝たきりの神父様方の…

マザー・テレサの言葉(11) ふさわしい者

《お知らせ》10月22日から25日まで、初ミサのため東京に出かけます。東京から初ミサの様子などをお知らせできればと思いますが、インターネットの接続状況や向こうでの忙しさによって左右されるかと思います。 主よ、わたしたちを、 貧困と飢えの中に生き、 …

入門講座(15) 秘跡とは何か?

《今日の福音》ルカ11:37-41 イエスは、律法に従って食事の前に手を洗うことをしませんでした。ファリサイ派の人の食事に招かれていながら、不可解な行動です。イエスは、なぜこのような行動に出たのでしょう。一つ考えられる可能性は、ファリサイ派の人たち…

バイブル・エッセイ(26) 愚かな金持ち

群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい…

やぎぃの日記(7) 生きがい

昨日、「やぎぃの会」があった。第5回目である今回のテーマは「生きがいってなに?」ということだった。初めにわたしが、8月と10月に「ラルシュ・かなの家」に行ったときに撮った写真を使って、ジャン・バニエが始めた「ラルシュ共同体」のことや「かなの家」…

《「ラルシュ・かなの家」のHPとブログのお知らせ》

以前にもお知らせしましたが、「ラルシュ・かなの家」はホームページとブログを開設しています。 ホームページでは、「かなの家」についての説明や家の最近の情報を読むことができるほか、仲間たちが作った「かなせっけん」や「かなシャンプー」、牛乳パック…

フォト・エッセイ(45) 分岐点

わたしが知っているのは、30年という「かなの家」の長い歴史の中の最近8年だけのことだが、この短い期間にも「かなの家」は少しずつ変化している。わたしが初めて行ったころ、「かなの家」はまだ社会福祉法人ではなかったし、現在施設の中心になっている「ま…

フォト・エッセイ(44) 祈りの輪

以前に紹介した静岡の「ラルシュ・かなの家」で、初ミサを立てさせてもらった。修練が終わってすぐに実習をさせてもらって以来、「かなの家」とは8年以上の付き合いになる。この数年は、毎年夏になると「帰省」のような感覚で遊びに行っている。神学生時代に…

フォト・エッセイ(43) コスモス①

《お知らせ》10月15日から16日まで、静岡の「ラルシュ・かなの家」に出かけます。その間、ブログの更新やコメントへの応答はできません。 東京に住んでいたあいだ、この時期になると必ず昭和記念公園にコスモスを見に行っていた。昭和記念公園は、わたしが住…

やぎぃの日記(6) 聖霊の風

聖霊の働きはよく風に譬えられるが、今日そのことを体で感じる出来事があった。「そんなことがほんとにあるのか」と疑う人がいるかもしれないが、まあ聞いてもらいたい。 西宮のカルメル会での、初ミサ中の出来事だ。そもそも、修道院の門をくぐった時から何…

バイブル・エッセイ(25) 招かれた人たち

今回のバイブル・エッセイは、10月12日の「子どもミサ」での説教に基づいています。 イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来よう…

バイブル・エッセイ(24) マルタとイエス

今回のバイブル・エッセイは、10月7日、「神の愛の宣教者会」名古屋修道院で立てた御ミサの中での説教に基づいています。 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 彼女にはマリアという…

マザー・テレサの言葉(10) マリアのみこころよ

イエスの母であるマリアよ、 あなたのこころをわたしにください。 あなたのこころは美しく、清く、けがれなく、 愛と謙遜に満ちています。 わたしもいのちのパンの中におられるイエスを、 受け取ることができますように。 あなたが愛したように、イエスを愛…

入門講座(14) 聖母マリア

《今日の福音》ルカ10:38-42 この箇所を素直に読めば、イエスは行動ばかりに気を取られているマルタを叱っているように思えます。ですが、せっかくイエスのために甲斐甲斐しく働いているマルタをまったくの悪者にしてしまうのもかわいそうです。そこで、この…

フォト・エッセイ(42) 丹波篠山②

今回、街を歩きながら至るところで秋の恵みを感じた。 まず黒豆だ。今回行くまで知らなかったのだが、丹波篠山は黒豆の産地として有名なのだそうだ。今はまさに黒豆の収穫の時期ということもあって、街のあちこちにある土産物屋さんの店頭には、たくさんの黒…

フォト・エッセイ(41) 丹波篠山①

先日、神戸地区で働く司祭修道者の集いが丹波篠山で行われた。毎月行われている集いだが、いつもは三宮の神戸中央教会に集まる。たまには同じ地区の中にある別の場所でも集まってみようということで、遠足も兼ねて今回は丹波篠山で集まることになった。 まず…