2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

バイブル・エッセイ(91)たとえを用いて語る

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 また、別のたとえをお話しに…

祈りへの招き(4)『太陽の賛歌』アッシジのフランシスコ

『太陽の賛歌』 アッシジのフランシスコ作 「環境保護の聖人」と呼ばれるアッシジのフランシスコが作ったお祈りです。これからの季節、避暑地や野外で黙想しながら祈るのにちょうどいいでしょう。 神よ、造られたものすべてによって、わたしはあなたを賛美し…

やぎぃの日記(53)大木章次郎神父講演会②

講演全体を通して強く印象に残ったのは、大木神父のまったく妥協のない生き方だ。司祭召命を確認するためにあえて自分を死地に追い込み、生き残って神の御旨が確認されるや生涯その召命を一途に貫き通す、これほど鮮烈な召命の話を聞いたことがない。まるで…

やぎぃの日記(52)大木章次郎神父講演会①

先日、六甲教会でイエズス会の大先輩、大木章次郎神父様が講演してくださった。30年もの間ネパールで知的障害を負った方々のために働き、「ネパールの大木神父」として知られた方だ。この春、高齢のためついに帰国され、今は東京の上石神井で暮しておられる…

2009年度祈りの道場「原理と基礎」

「原理と基礎〜今ここで、神の愛を感じる」 7月24日に六甲教会で行われた「祈りの道場」のレジュメです。参加した方は振り返りのために、参加できなかった方は日々の祈りの参考として、どうぞお役立てください。1日に1項目、1時間を使って祈っていくといいと…

フォト・エッセイ(138)生田川遠足③

河原でしばらく過ごしたあと、森林植物園を目指して歩き始めた。生田川沿いの、気持のいいハイキングコースだ。途中、何箇所かで川を渡ったり水遊びをしたりしながらゆっくりと進んでいった。 魚を釣って焼いて食べようと思い、釣竿をリュックの中に入れてい…

フォト・エッセイ(137)生田川遠足②

雌滝を後にして、雄滝に向かった。雄滝はさらに10分ほど上流に歩いたところにある。途中、足もとの崖の下を土色の濁流が激しく流れ下っているのが見えた。見ていると怖くなるほどの激しさだった。落ちたらひとたまりもない。まるでどこか外国の山の中に迷い…

フォト・エッセイ(136)生田川遠足①

先日、マシア神父さんや教会の青年たちと一緒に山歩きをしてきた。以前に歩いてすっかり気に入った生田川上流の道を、ぜひ若者たちにも体験してもらいたいと思ったからだ。集まったのは、司祭、シスター、青年信徒の入り混じった10人ほどのおもしろいグルー…

病者訪問奉仕者研修会「キリスト教徒としての病者訪問」②

「キリスト教徒としての病者訪問 〜マザー・テレサにならって」 後半 4.痛みを共に担う 肉体の痛みを味わっている病者を前にして、わたしたちに何ができるのでしょうか。マザー・テレサの次の言葉が手がかりになると思います。 「苦しみは、共に担われるとき…

病者訪問奉仕者研修会「キリスト教徒としての病者訪問」①

「キリスト教徒としての病者訪問 〜マザー・テレサにならって」 前半 先日、カトリック神戸中央教会で神戸地区の病者訪問奉仕者研修会が行われました。そこでお話ししたことを文章にまとめてみましたので、どうぞご参考になさってください。長いので、2回に…

余談(7) THE PRIESTS

《聖堂でのコンサート》 先日、本屋さんで何気なくCDの置いてある棚を見ていたら、"THE PRIESTS"という文字が目に飛び込んできた。なんだろうと思って手に取ると、アイルランドに住む現役のカトリック司祭3人が作ったコーラスグループだという。AVE MARIAやP…

バイブル・エッセイ(90)新しい礼拝

そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。 そこで、イエス…

フォト・エッセイ(135)神宿る森③

半日かけてゆっくりと外宮を歩いているうちに、森の空気で心身ともに洗い清められたような気がした。そのまま、すがすがしい気持ちでバスに乗り内宮に向かった。外宮にお参りしてから内宮という参拝順路には、それなりの理由があるようだ。もっとも偉大な神…

フォト・エッセイ(134)神宿る森②

天を衝くほど高く伸びた杉や楠木の巨木の間をしばらく歩いて行くと、本殿の前に出た。全国の神宮の頂点に立つ神社にしては、意外と小さな本殿だった。作りも簡素だ。白木の柱だけで組み上げられ、装飾は最小限に抑えられている。屋根の上に並んだ丸い木の柱…

フォト・エッセイ(133)神宿る森①

伊勢神宮に行ってきた。生まれて初めてのことだ。そもそも、これまで三重県に足を踏み入れたことがなかった。埼玉県で生まれたわたしにとって、伊勢は自分とは無関係な遠いところにある聖地でしかなかったのだ。 ところが、調べてみると神戸からは近鉄特急を…

バイブル・エッセイ(89)剣をもたらすために

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよ…

マザー・テレサの言葉(34)偉大なこと

イエスは、わたしたち貧しい者のもとに来てくださいました。 神はわたしたちを愛している、 わたしたちは神にとって特別な者である、 神はわたしたちを偉大なことのために創造された、 つまり、互いに愛し、愛されるために創造された、 これらのよい知らせを…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(9)イエスとは誰か①「人となった神」

第9回イエスとは誰か①〜人となった神 今回から夏休みに入るまでの講座では、マザー・テレサの言葉を手がかりにしながらイエス・キリストが誰だったのかについて考えてみたいと思います。イエス・キリストは全人類の救い主だといわれますが、一体どんな意味で…

バイブル・エッセイ(88) 大きな荷物

このエッセイは、7月12日に行われた「子どもとともに捧げるミサ」での説教に基づいています。 そのときイエスは十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、…

《ミニ写真展「初夏の六甲山」のお知らせ》

「我々の主なる神を畏れ敬おう、 雨を与える方、 時に応じて、秋の雨、春の雨を与え、 刈り入れのために、定められた週の祭りを守られる方を。」 (エレミヤ5:24) ミニ写真展「初夏の六甲山」開催中! 只今、カトリック六甲教会信徒会館2階「助任司祭室」にて…

フォト・エッセイ(132)生田川のカワムツ釣り

木曜日に森林植物園に行ったのには、実はもう一つの狙いがあった。それは、生田川上流に群れをなして泳ぐカワムツたちだ。 2週間前に生田川上流の淵でカワムツたちの姿を見たとき、わたしの心の中に眠っていた「釣りキチ」少年が激しく揺すぶられるのを感じ…

フォト・エッセイ(131)霧の森林植物園②

肝心のアジサイは、やや盛りを過ぎつつあるところだった。全体としてはまだまだ美しいのだが、近づいてみると花びらがところどころで干からび始めているものが多い。写真に撮ると細部が目立つので、アップの写真はもう撮りにくい状態だった。この数年、天候…

フォト・エッセイ(130)霧の森林植物園①

森林植物園からトウェンティクロスを経て新神戸まで歩いた。2週間前と逆のコースだ。 狙いはアジサイだった。朝、「摩耶山頂の自然観察園か、それとも森林植物園か」と思いながら教会の窓から六甲山を見上げると、山のかなり低いところまで雲が降りて来てい…

バイブル・エッセイ(87)思い込み

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行わ…

マザー・テレサの言葉(33) 空っぽ

神は、いっぱいのものを満たすことができません。 神は、空っぽのものだけを満たすことができるのです。 本当の貧しさを、神は満たすことができるのです。 与えるためにどれだけ持っているかではなく、 どれだけ空っぽかが問題なのです。 ※写真・文とも『愛…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(8) 祈り②

第8回 マザー・テレサに学ぶ祈り② 前回、祈りについて「沈黙」という言葉を手がかりにして考えてみました。今回は、同じことを別の言葉を手がかりにして考えてみたいと思います。「空っぽ」という言葉が、今回の手がかりです。 Ⅱ.「空っぽの心」 1.何も持た…

フォト・エッセイ(129)森林植物園のアジサイ②

しばらくして、さすがに体が動かなくなってきた。写真を撮りたいという気持ちを、どこかで寝そべって休みたいという気持ちがしだいに圧倒していった。睡眠不足のせいか、頭も痛くなってきた。我慢しながらしばらく歩いて行くと、芝生広場の片隅にちょうどい…

フォト・エッセイ(128)森林植物園のアジサイ①

先週の初めごろから、待ちに待った雨が降り始めた。やれやれ、なんとか間に合ってくれた。あと数日も雨が降らなければ、もう今年のアジサイはだめかもしれないと覚悟していたところだった。 木曜日、万を持して再び森林植物園に行ってきた。1週間前に行った…

やぎぃの日記(51)「パウロ年」閉年ミサ

今日、大阪の玉造教会で「パウロ年」閉年ミサが行われた。カトリック教会全体としての「パウロ年」は先日終わったのだが、大阪大司教区は大司教の臨席のもと行われた今日のミサをもって公式にパウロ年を閉じた。この1年、大阪教区ではパウロにちなんだ行事が…

バイブル・エッセイ(86)疑い深いトマス

このエッセイは7月3日、使徒聖トマスの祝日(初金曜日)のミサでの説教に基づいています。 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマス…