2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

やぎぃの日記(50)テゼの力②

祈りの集いは、始め聖堂の向い側にあるホールで始まった。聖堂を祈りだけの場にするために、歌の練習やテゼの活動の紹介などは別の場所で行うことにしたのだ。ホールいっぱいに席を並べたのだが、あまりの人の多さに開始の直前に席がなくなり、立ち見の人た…

やぎぃの日記(49)テゼの力①

昨日の晩、六甲教会で歌と沈黙による祈りの集い「テゼの祈りin神戸」が行われた。訪日中のテゼ共同体のブラザー、ギランさんを指導に招いての本格的なテゼの集いだった。わたしはそれほどテゼに詳しいわけでもないのだが、行きがかり上今回の集いの呼びかけ…

《「テゼの祈りin神戸」終了御礼》

「テゼの祈りin神戸」へのご参加、ご協力ありがとうございました。 お陰様で今晩、無事に「テゼの祈りin神戸」が終了いたしました。この会の運営に協力してくださった皆様、参加してくださった皆様、そして準備や後片付けを率先して手伝ってくださったカトリ…

バイブル・エッセイ(85) 2つのよみがえり

イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、お…

フォト・エッセイ(127) 生田川上流③

大都市から歩いて1時間あまりのところにこれだけ豊かな自然が広がっているのには、ただ驚くばかりだった。神戸の人たちにとって六甲山は裏山のようなところで、昔から慣れ親しんでいるから改めて驚いたりしないのかもしれないが、よそ者であるわたしにとって…

フォト・エッセイ(126) 生田川上流②

生田川の水は、この季節でも肌を刺すほど冷たい。もっとも、雪解け水ではないので、我慢すれば10分くらいは足を浸していられる。山歩きでほてった足を冷やすにはちょうどいいくらいの温度とも言える。六甲山はそれほど高い山でもないのに、なぜこれほど水が…

フォト・エッセイ(125) 生田川上流①

この間の木曜日、1週間ぶりに六甲山に行ってきた。ここのところ休みの日に雨が降ったり、晴れても遠くに行ったりすることが続いて六甲山にご無沙汰していたのだが、このアジサイの季節に六甲山に行かないわけにはいかない。今回は、新神戸駅の裏手から六甲山…

フォト・エッセイ(124) 夜のメリケンパーク

今、神戸港に航海訓練所の練習船、日本丸と海王丸が入港している。先日、「夜間ライトアップされているようだから見に行きましょう」という信者さんに誘われて見に行ってきた。 夜のメリケンパークは、昼間とまったく違った姿を見せてくれる。マリンタワーや…

《「テゼの祈りin神戸」まであと5日》

テゼの祈りin神戸〜歌と沈黙の交わり〜 「テゼ」という言葉をご存じでしょうか? 「テゼ」は、イエス・キリストの前に教派の違いを越えて集い、歌と沈黙によって共に神を賛美することを目指す国際的な共同体です。このたびフランスに本部を置く「テゼ共同体…

マザー・テレサの言葉(32) 神は沈黙の友

神は沈黙の友です。 わたしたちは神を見つけなければなりませんが、 騒音や興奮の中に神を見出すことはできません。 自然が、木が、花が、草が、 深い沈黙の中でどうやって成長していくかを見なさい。 星が、月が、太陽が、 沈黙の中でどう動いていくかを見…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(7) 祈り①

第7回 マザー・テレサに学ぶ祈り① 今週と来週の2回に分けて、マザー・テレサの言葉を手がかりに祈りとは何かを考えてみたいと思います。 Ⅰ.すべては沈黙から 1.沈黙からの出発 マザーは、沈黙をとても大切にしていました。沈黙からすべてが始まると言ってい…

バイブル・エッセイ(84)静かな湖面

その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 しかし、…

フォト・エッセイ(123)水郷めぐり③

最初の水郷めぐりは、1時間ほどで終わった。また自転車に乗り換えて、今度は陸から水郷地帯に近づくことにした。ところどころに水郷を横切る橋がかかっていて、その上からヨシ原を見渡すことができるのだ。水郷地帯の周りには、青々とした田んぼも広がってい…

フォト・エッセイ(122)水郷めぐり②

舟は初め、琵琶湖に流れ込む大きな水路を進んでいった。曇り空のあいだから時折ぎらぎらした太陽の日差しが差し込む蒸し暑い日だったが、川面を渡る風は涼しかった。大きな堰を越えながら船頭さんが「ここからが水郷です」と言った。 目の前に青々と生い茂っ…

フォト・エッセイ(121) 水郷めぐり①

木曜日、近江八幡の水郷めぐりに行ってきた。近江八幡には琵琶湖の内湖である「西の湖」(さいのこ)があり、その周辺に日本でも有数の大きなヨシ原が広がっている。水郷めぐりというのは、ヨシ原のあいだを縫うようにして流れる水路を和舟でめぐる観光のこと…

バイブル・エッセイ(83)本当の願い

あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(6) マザー・テレサの霊性③「我、渇く」(後半)

5.ベナレスからの手紙 マザーにとって1946年9月10日に体験したイエスの渇きがどのようなものだったのか、その体験がなぜ貧しい人々への奉仕につながるのかは、マザーが1993年3月に「神の愛の宣教者会」の全てのメンバーに宛てて書いた「ベナレスからの手紙」…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(6) マザー・テレサの霊性③「我、渇く」(前半)

第6回 マザー・テレサの霊性③「我、渇く」 Ⅲ.「我、渇く」 マザー・テレサの霊性についての3回の講義の最終回である今日は、彼女の霊性の根幹をなす「我、渇く」の体験についてお話ししようと思います。「喜びの使徒」としての霊性も、「暗闇の聖人」として…

マザー・テレサの言葉(31) 愛よりも深く

もしマザーの手紙の中で何かを覚えておくとすれば、 このことを覚えておきなさい。 『わたしは渇く』という言葉は、 『わたしはあなたを愛している』という言葉よりも、 何かもっと深いものだということです。 ※写真、文とも『愛する子どもたちへ マザー・テ…

バイブル・エッセイ(82) 愛のしるし

このエッセイは、6月14日「キリストの聖体の祭日」に行われた「子どものためのミサ」での説教に基づいています。 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの…

やぎぃの日記(48) 六甲川のホタル

昨夜、信者さんに誘われて六甲川の上流にホタルを見に行ってきた。六甲川というのは教会から100mくらいのところを流れている川だ。上流に数キロ遡ると、ホタルが乱れ飛ぶ河原がある。 野坂昭如の小説『火垂るの墓』は第二次世界大戦中の神戸を舞台にしている…

フォト・エッセイ(120) ラベンダーの季節②

どうもわたしはラベンダーに弱い。香りが強すぎるという人もいるが、わたしはラベンダー畑に入って写真を撮り始めるとあの香りにすっかり魅了されてしまう。前後の見境をなくし、もう写真を撮っているというよりは「撮らされている」という感じになる。 写真…

フォト・エッセイ(119) ラベンダーの季節①

先週の金曜日、あまりにも天気がよかったので夕方1時間あまり教会を抜け出して布引ハーブ園に行ってきた。今、ラベンダーが満開だと聞いていたからだ。ここのところお休みの日に雨ばかり降るので、そのストレスがたまっていたということも今回の突発的な行動…

《ミニ写真展『里山の風景』のお知らせ》

「大地を水の上に広げた方に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。」 (詩篇136:6) ミニ写真展「里山の風景〜春から初夏〜」開催中! カトリック六甲教会信徒会館2階助任司祭室(旧第5会議室)におきまして、現在ミニ写真展「里山の風景〜春から初夏〜」を開催中です…

やぎぃの日記(47) 神戸地区大会

6月7日、三位一体の主日に、丹波篠山で神戸地区大会があった。地区大会というのは、2年に1度、大阪大司教区神戸地区に属する11の教会の信徒が集まって行われる大会だ。集まって一緒にミサをささげたり出し物を披露したりすることで、同じ地区に生きる信徒と…

バイブル・エッセイ(81) 悲しむ人の幸い

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められ…

マザー・テレサの言葉(30) 空虚さ

思いを天に向けようとするとき、どうしようもない空虚さにぶつかります。 天に向けようとした思いは、 するどいナイフのように戻ってきて、わたしの魂を傷つけるのです。 愛は何ももたらしてくれません。それはただの言葉のように響きます。 この言葉は、「…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(5) マザー・テレサの霊性② 「暗闇の聖人」(後半)

4.第二段階(1961〜1997) こうして「霊的な闇」の中で苦しみつつも、それを受容しようとしていたマザーに、大きな転機が訪れます。それは、1961年に与えられたノイナー神父との出会いでした。 (1)「闇を愛する」 1961年に行われた黙想の後でノイナー神父に宛…

マザー・テレサに学ぶキリスト教(5) マザー・テレサの霊性② 「暗闇の聖人」(前半)

第5回 マザー・テレサの霊性②「暗闇の聖人」 前回、「喜びの使徒」としてのマザー・テレサの一面を紹介しました。今回は、別の側面から彼女の霊性を見てみたいと思います。それは、「暗闇の聖人」としての側面です。Ⅱ.「暗闇の聖人」 マザーは霊的指導者であ…

フォト・エッセイ(118) 大原三千院③

バスでの集合時間まで自由に散策していいということだったので、三千院の境内をしばらく見て回った後、近くの棚田に足を延ばした。去年行ったときに見つけたのだが、三千院に向かう参道から少し入ったところにかなり大きな棚田があり、そこから里山としての…